「アルバート・アナスタシア」の版間の差分

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==暗殺==
 
[[1957年]][[10月25日]]、アナスタシアは[[ニューヨーク]]に当時あったパーク・シェラトン・ホテル(現在のパーク・セントラル・ホテル)の理髪店に立ち寄ったが、散髪中のところ、覆面をした2人組の男によって銃殺された。独裁者的な行動が目立ち始めたためだといわれる。ひとついわれている有名な話としては1953[[1953]]彼が自宅でニュースをみているとアーノルドというセールスマンが強盗を警察に通報したということで賞賛されている場面があり、それを見たアナスタシアは「I hate squealers !」(おれはタレコミ屋どもが大嫌いなんだ!)と叫んだあと部下を使いそのテレビにでていた男を殺害したという点があげられる。とくになにもしていない善良な一般市民が殺害されたという話はすぐに町をかけめぐり怒りに燃えた市民からマフィアをもっと厳しく取り締まってくれという問い合わせが多数あったといわれている。それは他のメンバーからしてみれば非常にやっかいな事柄であるし、そもそも暗黒街でも暗殺命令を出すにあたっては他者が納得する理由があり、気まぐれてきに人を殺害してはならないという鉄則がありアナスタシアの行動はれっきとしたルール違反であった。彼が自身の握っていた絶大な権力を失っていくのはちょうどこのあたりからだといわれている。
 
この殺害はアナスタシアと対抗してニューヨーク・マフィアの覇権を目指していた[[ヴィト・ジェノヴェーゼ]]の支持の下、アナスタシアの配下であった[[カルロ・ガンビーノ]]がプロファチ・ファミリーのボス[[ジョゼフ・プロファチ]]に殺害を依頼し、実行犯はプロファチの部下の[[ジョーイ・ギャロ]]だったという説が一般的であるが、実行犯はガンビーノの部下の[[ジョー・ビオンド]]で、アナスタシアの後にガンビーノがボスに昇格した際にビオンドが副ボスに昇進したのはその功績という説もあるし、[[フロリダ]]の[[サント・トラフィカンテ]]が暗殺を手配したという説もあり、真相は定かではない。