「中央自動車道」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[法令]]で中央自動車道が定められたのは{{和暦|1957}}[[4月16日]]の[[s:国土開発縦貫自動車道建設法|国土開発縦貫自動車道建設法]]が最初である。これはその3年後の{{和暦|1960}}に[[公布]]された[[s:東海道幹線自動車国道建設法|東海道幹線自動車国道建設法]]よりも先であり、予定路線が定められたのは同日の[[s:国土開発縦貫自動車道中央自動車道の予定路線を定める法律|国土開発縦貫自動車道中央自動車道の予定路線を定める法律]]である。この法律の予定路線の中央自動車道は、起点が東京都、終点が吹田市という中央自動車道西宮線の前身ともいえるが、その主たる経過地は「神奈川県[[津久井郡]][[相模湖町]](現相模原市)附近、富士吉田市附近、静岡県[[安倍郡]][[井川村]](現[[静岡市]][[葵区]])附近、飯田市附近、中津川市附近、小牧市附近、大垣市附近、大津市附近、京都市附近」とされており、相模湖町-飯田市は現在のルートとは大きく異なって、[[赤石山脈|南アルプス]]を貫通するものであった。しかし山地部の工事費が莫大であることから、山廻りのルートが本当に実現できるのかということになり、{{和暦|1962}}、比較的工事の難易度が低い河口湖IC富士吉田までのルート基本計画試験的[[3月31日]]、富士吉田線の整備計画が[[5月7日]]定められ、着工された。その後「静岡県安倍郡井川村附近」が「諏訪市附近」に改正され、既に着工されていた富士吉田市までの区間富士吉田線とされ現在の支線のような路線となった。
 
そのためもあって、最初の開通は東名高速道路よりも早いが、東名高速が着工から数年で全線開通したのに比べて、中央道は着工から全線開通までに約20年間の年月を要した。