「東京都道146号国立停車場谷保線」の版間の差分

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==路線概要==
[[1925年]]頃より、学園都市として[[コクド|箱根土地]](現:[[プリンスホテル]])の[[堤康次郎]]がこの地区の開発を計画。国立駅南口から三方向に伸びる道路がこの計画により作成された。当路線はそのうち中央の南にまっすぐ伸びる路線である。[[1926年]]に国立駅が開業し、学校や住宅が誘致されると、国立駅と谷保村(現:[[国立市]])の中心街であった谷保駅・谷保天満宮前付近を結ぶ路線となった。街の発展とともに国立市の中心は国立駅南側一帯に移り、当路線はその中心を貫く街路となっていった。
 
起点の国立駅前はロータリーで、路線バス停留所やタクシー乗り場がある。ここから南にまっすぐ下り、1.8kmほど進んで富士見台1、2丁目に入ると少し右にカーブする。本線は富士見台2丁目14番と15番の間の交差点でいったん右に曲がり、すぐまた左に曲がる。そのまま南武線を踏みきりで越え、谷保天満宮前交差点に達する。
 
なお谷保天満宮前交差点の当都道側からの表示は20082009年5月現在「谷保」となっている。
 
支線は、富士見台2丁目の交差点で曲がらずまっすぐに[[谷保駅]]の北口ロータリーに達する。こちらにも小規模ながら路線バス停留所やタクシー乗り場がある。
 
両側を線路に挟まれていることや交差する大きい道理がないことなどから、比較的広い道路ながら通過交通は少なく、街のメインストリートとして機能している面が大きい。都道としては甲州街道に接しているが、大学通りから分かれた部分は大型バスがやっとすれ違える程度の一般的な生活道路である。
 
==歴史==
[[1925年]]頃より、学園都市として[[コクド|箱根土地]](現:[[プリンスホテル]])の[[堤康次郎]]がこの地区の開発を計画。国立駅(開業は[[1926年]])南口から三方向に伸びる道路がこの計画により作成された。当路線はそのうち中央の南にまっすぐ伸びる路線である。[[1926年]]に国立駅が開業し、学校や住宅が誘致されると、国立駅と谷保村(現:[[国立市]])の中心街であった谷保駅(開業は[[1929年]])・谷保天満宮前付近を結ぶ路線となった。街の発展とともに国立市の中心は国立駅南側一帯に移り、当路線はその中心を貫く街路となっていったである
 
当初より堤はこの通りの両側に東京商科大学(現:[[一橋大学]])の誘致を計画し「大学通り」の名をつけていた。[[1927年]]に実際に大学が移転し、この名が浸透していった。
 
戦後、街の発展とともに国立市の中心は国立駅南側一帯に移り、谷保村は[[1951年]]、町制施行に伴い国立町となり、大学通りはその中心を貫く街路となっていった。
 
谷保駅付近の曲がった先の部分は、主要停車場(国立駅)と国道(甲州街道:東京都道256号(当時は国道20号))を結ぶ路線として都道指定するために付け加えられている。
 
== 沿道施設 ==