「赤報隊」の版間の差分

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相楽の孫である木村亀太郎は、赤報隊の関係者と共に名誉回復に奔走した。その結果、[[1928年]](昭和3年)、相楽総三に正五位、渋谷総司に従五位の[[位階]]が追贈され、全員ではないが、名誉回復は果たされた。
 
[[第二次世界大戦]]後、下諏訪では赤報隊を顕彰する相楽会が結成された。今なお、処刑場跡(張付田)に位置する「相良塚(別名=魁塚)」では、毎年[[4月3日]](命日である旧暦3月3日の1ヶ月後に合わせたものと思われる)に遺族を招いて相楽祭を行い、供養している。
 
また、[[2008年]]4月には、[[岐阜県]][[不破郡]][[垂井町]]岩出の[[菁莪記念館]]の駐車場に、住民の手による赤報隊の顕彰碑が建立されている。