「第一次ミトリダテス戦争」の版間の差分

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ポントスは、[[シリア戦争]]まで[[セレウコス朝]]に服属する独立国であったが、シリアが後退すると、ローマの属国として扱われるようになった。ポントス王ミトリダテス5世は、[[カッパドキア]]を攻めて併合した。その子[[ミトリダテス6世]]が王位を継承してから、ローマは紀元前92年にカッパドキアを亡命者アリオバルサネス(1世)に返還するように命じた。ミトリダテスは返還を受諾した。
 
しかし、ミトリダテスは、隣国[[ビテュニア]]の王の兄弟ソクラテスに一軍を与え、ビテュニアに送り込んだ。ソクラテスは[[ニコメデス4世]]([[:en:Nicomedes IV of Bithynia|en]])を追ってビテュニアを支配した。他方、カッパドキアでもミトリダテスの援助を受けた反乱が起こり、ローマが送り込んだ王を追って[[アリアラテス9世|アリアラテス(9世)]]を王に立てた。
 
ローマは[[マニウス・アクィッリウス (紀元前101年の執政官)|マニウス・アクィッリウス]]を長とする使節団を送り込み、追放された二人の王を復位させようとした。マニウスは、[[アシア属州]][[属州総督|総督]]ルキウス・カッシウスが持つローマ軍と、臨時に徴収した諸民族の兵力によって目的を達した。ミトリダテスはこれを静観した。しかしマニウスとカッシウスは戦争を望み、復帰した王にポントス攻撃を勧めた。ビテュニアのニコメデス4世はこの勧めに応じてポントスに侵攻し、略奪した。ミトリダテスはなおも反撃を控え、マニウスに抗議の使者を送ったが、無視された。ミトリダテスは子の[[アリアラテス9世|アリアラテス]]を[[カッパドキア]]に送り込んで占領した。当時のローマの法では、宣戦は[[元老院]]の権限であったが、マニウスらは自己の判断でミトリダテスに対する戦争を始めた。
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[[Category:ポントス王国]]
[[Category:紀元前共和政ローマの戦争]]
[[Category:古代ローマの戦争]]
 
[[ca:Primera guerra mitridàtica]]
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