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丹前の原型は[[吉原遊廓|吉原]]の有名な[[遊女]]だった[[勝山 (遊女)|勝山]]の衣装にあるという。
 
勝山は、元はといえば[[江戸]][[神田 (千代田区)|神田]]の[[風呂屋]]の[[湯女]]だったが、この風呂屋は[[堀氏|堀丹後守]]の[[藩邸|下屋敷]]の前にあったことから「丹前風呂」と呼ばれていた。勝山ゆかりの丹前風呂では湯女たちが勝山にあやかって良く似た衣装を身につけていたが、そこにに通い詰めた旗本奴たちがそれによく似た羽織を着て[[風流]]を競ったので、「丹前」が巡り廻って羽織の一種の名となったのだという。
 
こうした旗本奴や、のちには[[侠客]]などが、派手な縞柄の丹前に広幅の丹前帯をだらしなく絞めて着流したのが丹前風で、これが一種の流行になった。