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==日本での受容==
日中の[[禅宗]]寺院の交流が頻繁だったことから、[[14世紀]]初め[[鎌倉時代]]末には伝わった。14世紀中頃には贋作が多く作られるほど人気を呼び、当時の文献でただ「和尚」といえば牧谿のことを指すほど親しまれた。独特な技法により描かれる、見る者に湿潤な大気を実感させる水墨画は評価が高く、[[室町時代]]の水墨画にも大きな影響を与え、多くの追随者を生んだ。早い時期では[[可翁]]が有名である。[[15世紀]]の[[能阿弥]]になると「花鳥図屏風」([[出光美術館]]蔵)のように牧谿の絵のモチーフを[[屏風]]中に散りばめた作品まで登場してくる。牧谿のモチーフの中でも[[]]は非常に人気があり、[[雪村]]や[[式部輝忠]]といった[[関東[[水墨画]]の絵師たちも多くの作品を残している。最も熱心に牧谿を学んだ絵師は[[長谷川等伯]]である。明らかに牧谿の影響を受けた作品が数多く残り、傑作[[松林図屏風]]もその成果である。
 
== 代表作 ==