「一般親衛隊」の版間の差分

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== 概要 ==
1934年に親衛隊内部に戦闘部隊の[[親衛隊特務部隊]](SS-VT、後の武装親衛隊)が創設されるとともに非戦闘員の親衛隊員は「一般親衛隊(アルゲマイネSS)」と呼ばれるようになった。一般親衛隊に分類される親衛隊機関は[[国家保安本部]]や[[親衛隊経済管理本部|経済管理本部]]などが有名である。[[親衛隊名誉指導者|名誉隊員]]やパートタイム隊員なども一般親衛隊に分類される。1939年8月に一般親衛隊員は48万5000人ほどだった(うち18万人は予備役)。しかし[[第二次世界大戦]]開戦で一般親衛隊員も動員され、17万人が[[ドイツ国防軍|国防軍]]にとられ、3万5000人が武装親衛隊に取られた。10万ほどの隊員のみが一般親衛隊に残されるだけとなった。しかし長期化・泥沼化する戦争によってさらに一般親衛隊員が動員されていった。1945年の親衛隊員総数は84万人だったが、このうち一般親衛隊員は4万8500人にとどまっている(一方武装親衛隊は60万人)。戦時中、一般親衛隊は規模も重要性も名声も武装親衛隊に後れを取ることとなった。かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという(ただ戦時中には一般親衛隊員は灰緑色の制服を着用している者が多く、黒服はパートタイム隊員や占領地の外国人隊員など一部の者が着用していたにとどまる)。
 
しかし[[第二次世界大戦]]開戦で一般親衛隊員も動員され、17万人が[[ドイツ国防軍|国防軍]]にとられ、3万5000人が武装親衛隊に取られた。10万ほどの隊員のみが一般親衛隊に残されるだけとなった。しかし長期化・泥沼化する戦争によってさらに一般親衛隊員が動員されていった。1945年の親衛隊員総数は84万人だったが、このうち一般親衛隊員は4万8500人にとどまっている(一方武装親衛隊は60万人)。戦時中、一般親衛隊は規模も重要性も名声も武装親衛隊に後れを取ることとなった。かつてはエリートの象徴だった一般親衛隊の黒服も戦争後期には兵役逃れの臆病者の象徴として笑い者にされるまでになり下がっていたという(ただ戦時中には一般親衛隊員は灰緑色の制服を着用している者が多く、黒服はパートタイム隊員や占領地の外国人隊員など一部の者が着用していたにとどまる)。
なお強制収容所の運営にあたっていた[[親衛隊髑髏部隊]]員は一般親衛隊と思われがちであるが、実際には武装親衛隊扱いで給与支給帳(Soldbuch)や軍歴手帳(Wehrpaß)も所持していた。ただ彼らを統率していた経済管理本部は一般親衛隊であった。
 
なお強制収容所の運営にあたっていた[[親衛隊髑髏部隊]]員は一般親衛隊と思われがちであるが、実際には武装親衛隊扱いで給与支給帳(Soldbuch)や軍歴手帳(Wehrpaß)も所持していた。ただ彼らを統率していた経済管理本部は一般親衛隊であっ占められていた。
 
階級は一般親衛隊、武装親衛隊ともに[[突撃隊]](SA)の階級が元になっており、基本的に同じであったが、一部だけ名称が異なった。たとえば[[親衛隊二等兵]]の階級は武装親衛隊では「SS-Schütze」、一般親衛隊は「SS-Mann」の階級をつかった。同様に[[親衛隊一等兵]]も武装親衛隊は「SS-Oberschütze」、一般(アルゲマイネ)SSは「SS-Obermann」の階級をもちいていた。また武装親衛隊のみの階級として[[親衛隊准尉]](SS-Sturmscharführer)というものがあった。さらに[[親衛隊少将]]以上は武装親衛隊では国防軍と同様の階級を用いていた。ただ武装親衛隊員には一般親衛隊員の階級も併せて授与されるのが通例であった。親衛隊の階級の詳細は'''[[親衛隊階級]]'''を参照のこと。
 
== 参考文献 ==
*ロビン・ラムスデン著「ナチス親衛隊軍装ハンドブック」原書房 ISBN 4562029293 ISBN 978-4562029297
 
 
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