「ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン」の版間の差分

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フランス東部の[[シャンパーニュ]]の中流貴族の家柄に生まれ、[[シャンパーニュ伯]]アンリ(自由伯)にマレシャル(家老職)として仕える。[[1190年]]にはアンリ自由伯の長男に従って、中東でアクレ攻囲戦の指揮を執っている。その忠節・政治感覚・武勇により、彼の個人的名声や権威は、家老職以上のものがあったといわれる。[[1201年]]、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]に使節として赴き[[第4回十字軍]]への援助を求め、自らも従軍し、[[コンスタンティノープル]]陥落に関わっている。彼の記録『コンスタンチノープル征服記』は、[[フランス語]]の記録としては最古のものの一つで、13世紀の散文の大作『[[ランスロット]]』や『[[トリスタンとイゾルデ|トリスタン]]』にその手法を伝え、[[年代記]]としての価値も高い。ただ、[[十字軍]]が[[エルサレム|イェルサレム]]に向かわずコンスタンティノープルを占領し、[[ラテン帝国]]を建てたことを擁護し、[[ギリシャ人|ギリシア人]]を非難する立場から書かれたものであり、歴史書としては注意が必要である。
 
== 参考文献(著作) ==
*ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥワン、伊藤敏樹訳 [[コンスタンチノープル]]征服記』伊藤敏樹訳(筑摩書房, [[1988年第四回十字軍]]
:[[筑摩書房]],1988年、[[講談社学術文庫]],2003年
*ロベール=ド=クラリ、伊藤敏樹訳 『コンスタンチノープル遠征記 第四回十字軍』 筑摩書房、1995年
*ジョナサン・フィリップス 『第四の十字軍 コンスタンティノポリス略奪の真実』
: 野中邦子・中島由華訳  [[中央公論新社]]、2007年
 
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