「ポーランド・リトアニア合同」の版間の差分

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[[Image:Unia w Krewie.JPG|thumb|220px|ポーランド・リトアニア合同を顕彰する絵画、1861年。[[標語|銘]]には「永遠の結合」と記されている。]]
'''ポーランド・リトアニア合同(連合'''([[ポーランド語]]:Unia polsko-litewska)は、1569年の[[ポーランド・リトアニア共和国]](二民族の共和国)創設までに、[[ポーランド王国]]と[[リトアニア大公国]]が長期にわたって繰り返していた一連の法令による諸同盟を指す。1791年、共和国が[[5月3日憲法]]によって短命ながら統一国家へと移行した際も、合同に数えられる。この合同関係にある両国は'''ポーランド・リトアニア連合王国'''と呼ばれることが多い
 
主な合同は以下の通り。
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*1401年 - [[ヴィリニュス・ラドム合同]]…[[リトアニア大公国]]の主権を再確認した。
*1413年 - [[ホロドウォ合同]]…[[紋章]]に関する合同。[[シュラフタ]](ポーランド貴族)の持つ権利の大部分をリトアニア貴族にも適用する。
*1432年(1432年 - 1434年) - [[グロドノ合同]]…宣言によて結合をさらに強めようとする試み。
*1499年 - [[クラクフ・ヴィリニュス合同]]…個人的な紐帯である人的同君連合から支配者家門を同じくする[[王朝連合]]へと移行、リトアニアの主権を再確認
*1501年 - [[ミェルニク合同]]…人的同君連合の再確認。
*[[1569年]][[7月1日]] - [[ルブリン合同]]…制度的国家合同が成立、半封建的、半連邦的な「[[二民族の共和国]]」が成立した。