「ニスタット条約」の版間の差分

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==結果・影響==
この条約によってバルト海の覇権を失ったスウェーデンでは、大北方戦争中に[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]が戦死していたこととあわせ、国王の権威を低下させた。そのため[[王権]]の制限が進められ、[[絶対王政]]下における大国主義から、いわゆる「[[自由の時代]]({{Lang-sv|Frihetstiden}})」へと移行することになった。一方で、新たにバルト海の覇権を握ったロシアは、ヨーロッパ政治における存在感を強めた。ヨーロッパの主要国はロシアに外交官を常駐させるようになり、国際政治において対ロシア関係を無視することができなくなった。国内でも[[ピョートル1世]]がその威信を強め、ロシアの「[[元老院]]」から「[[皇帝]]」「[[大帝]]」などの称号を受けることになった。
 
==関連項目==