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== 生涯 ==
白人の母、黒人の父のもとで生まれる。母は[[ピーターマリッツバーグ]]の精神病院に入院しているときにベッシーを産み、彼女が6歳のときに亡くなった。ベッシーは里親のもとで暮らすが、養父は女が6歳都合とき亡くなり、同じ頃に実の母も亡くなる。養母の暮らしが苦しくなたため、ベッシーは13歳のときに孤児院に入る。このときはじめて実の両親について知り、大きなショックを受けた。その後は教師やジャーナリストとして働くが、[[アパルトヘイト]]のためにカラードとして不自由な暮らしを送り、結婚が破綻したのちは子供とともにボツワナへ移住する
 
その後は教師やジャーナリストとして働くが、[[アパルトヘイト]]のためにカラードとして不自由な暮らしを送る。結婚が破綻したのち、子供とともに英国の保護領[[ベチュアナランド]](のちのボツワナ)へ移住する。南アフリカ政府からパスポートが出なかったため、出国許可証を使った亡命となった。
ボツワナでは[[:en:Serowe|セロウェ]]に住み、孤独と貧困のなかで創作活動を続ける。自伝的小説『力の問題』をはじめ、ボツワナの[[サン人]]の女性をめぐる物語『マル』、短篇集『宝を集める人』、セロウェを題材とした ''Serowe''(未訳)などを発表した。肝炎により死亡するが、死後も評価が高まり、作品集や書簡集などが出版されている。
 
ボツワナでは[[:en:Serowe|セロウェ]]に住み、孤独と貧困のなかで創作活動を続ける。自伝的小説『力の問題』をはじめ、ボツワナの[[サン人]]の女性をめぐる[[ツワナ人]]の差別の物語『マル』、短篇集『宝を集める人』、セロウェを題材とした ''Serowe''(未訳)などを発表した。なかでも自伝的小説『力の問題』は[[ブッカー賞]]の候補になり、国際的に知られるようになる。肝炎により死亡するが、死後も評価が高まり、作品集や書簡集などが出版されている。
 
== 主な著書 ==
* ''When Rain Clouds Gather'' (1968) - 小説
* ''Maru'' (1971) 邦訳『マル 愛と友情の物語』 [[楠瀬佳子]]訳、[[學藝書林]]、1995年。 - 小説
* ''A Question of Power'' (1974)  邦訳『力の問題』 [[中村輝子]]訳、學藝書林、1993年。 - 自伝的小説
* ''Looking for a Rain God'' (1977) - 小説
* ''The Collector of Treasures and Other Botswana Village Tales'' (1977) 邦訳『宝を集める人』 [[酒井格]]訳、[[創樹社]]、1992年。 - 短篇集
* ''Serowe: Village of the Rain Wind'' (1981)
* ''A Bewitched Crossroad'' (1984) - 小説
* ''Tales of Tenderness and Power'' (1989) 邦訳『優しさと力の物語』 [[くぼたのぞみ]]訳、[[スリーエーネットワーク]]、1996年。 - 短篇死後に編されたアンソロジー
* ''A Bewitched Crossroad'' (1984)
* ''A Woman Alone: Autobiographical Writings'' (1990) - エッセイ集
* ''A Gesture of Belonging'' (1991) - 書簡集
* ''The Cardinals'' (1993) - 小説
 
== 外部リンク ==
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[[Category:各国の小説家]]
[[Category:アフリカの文学]]
[[Category:南アフリカ共和国の人物]]
[[Category:ボツワナの人物]]
[[Category:亡命者]]
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[[Category:1986年没]]