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Yuriemon (会話 | 投稿記録)
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'''学歴'''(がくれき)とはある[[人]]が学んできた経歴の事である。
 
以下では特に断り書きがない限り、[[日本]]での事例について述べる。
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[[日本]]において[[日常生活]]で「学歴」という語を用いる時はその人の卒業・修了・退学した学校の経歴である'''学校歴'''(がっこうれき)の事を表わす事も多い。
 
その人が学んだ学校のうち、最上位の学校の経歴を'''最終学歴'''(さいしゅうがくれき)といい、一般的に「学歴」と言うと「最終学歴」のことを指すこと場合が多い。最終学歴は「[[大学]]の卒業」、「[[高等学校]]の[[卒業]]」などのように学校の種類と[[卒業]]・[[修了]]・[[中退]]・[[退学]]などの別を用いて表す事が多い。
 
日本では学歴が[[中学校]]卒業の場合を'''中卒'''(ちゅうそつ)、高等学校卒業の場合を'''[[高卒]]'''(こうそつ)、[[高等専門学校]]卒業の場合を'''高専卒'''(こうせんそつ)、[[専修学校]][[専門課程]]卒業の場合を'''専門卒'''(せんもんそつ)、[[短期大学]]卒業の場合を'''短大卒'''(たんだいそつ)、大学[[学部]]卒業の場合を'''大卒'''(だいそつ)もしくは'''学卒'''(がくそつ)、[[大学院]]修了の場合を'''院卒'''(いんそつ)と略して呼ぶ。ただ'''学卒'''には学校卒業の意味もある。
 
国語辞典などを参照しても、これらの用語自体には最終学歴という意味があるとはされていないが、日常会話などでは、最終学歴のことという前提で使用されることがある。たとえば、大学を卒業していない人物について「彼は高卒だから、出世できなかった」などと表現される場合がある。またどの様な教育機関を「学歴」の内に含むかについては論者によって微妙な違いが存在し、公式に明確な線引きは行われていない。
 
近年、誤った使用法として「入学難易度の高い有名大学」の卒業者や在学者のことを、「高学歴」者と呼称する事が多い。
特にバラエティー番組の回答者などに、東大・京大・早慶出身者などがいると、「高学歴回答者」などと紹介される。
 
== 学歴社会 ==
=== 概説 ===
学歴社会とは学歴によってどの程度の人生([[就職]]、[[結婚]]など)を送ることができるかの見通しが分かる社会。ダニエル・ヤンミン、チャン・マイミンはこのシステムを'''[[パイプラインシステム]]'''と呼んだ<ref name="sinbyodo">{{Cite book|和書
|author=山田昌弘
|authorlink=山田昌弘
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学生にとっては以下の利点があった<ref name="sinbyodo"/>。
*希望する職に就くためにはどのくらいの学校に行けば良いかがわかりやすい(例えば、大手企業のホワイトカラーになるためには大学、中小企業の製造現場だったら工業高校など)
*分不相応な夢をあきらめられる(例えば、[[医者]]になりたいと思っても、[[医科大学]]に入るだけの学力がなければ無理だからあきらめられる)
*システムには高校・大学受験という分岐点があるため、頑張って分岐点で上位の学校に行くことにより、階層上昇の機会を与えていた(頑張って親よりも良い学校を出れば、親以上の階層になることができた。親の職業等の環境と子供の学力に相関はある<ref>{{Cite book|和書
|author=苅谷剛彦
|authorlink=苅谷剛彦
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*物作り主体のオールドエコノミー → 情報やサービスを売るニューエコノミーへの転換
**大量の熟練労働者が必要な構造 → 一部の創造的な仕事をする人(高収入)と、多数の単純労働者(低収入)という構造へ
この構造変化に対し学校は追い付けていない。高い能力を求められる労働力が減る一方で、それに対応して学歴の高い卒業生が減るわけではないから結果として学歴がインフレ状態になる。
 
学歴がインフレ状態になり、高学歴でも将来が保証されなくなるため、努力をして高学歴となってもその努力が報われず、努力が保障されない社会となる。また、「努力をしても良い結果が出るとは限らない」状態になるが、だからといって努力をしないで良いかというとそういうわけではなく、「努力をしない(低学歴)とさらにダメな状態」となる<ref name="sinbyodo"/>。
 
「[[学歴難民]]」という言葉に表徴されるように、先進国においては学歴の[[インフレーション|インフレ]]化が進み、高学歴を獲得しても社会的待遇が以前ほどは保障されなくなっている。特に採用の分野では、プログラミング技術など実用的能力を持つ者を即戦力として評価する企業が増えつつある。
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産業革命と市民社会が進展したイギリスにおいて、[[1853年]]に[[イギリス東インド会社|東インド会社]]によってインド高等文官の任用が会社理事による推薦から公開競争試験に移行し、[[1870年]]にはイギリス本国高等文官にも同様の試験が導入され、試験による人材の選抜・登用が官僚のみならず各種専門職などでも行われるようになった。このような人事制度は、人々の能力・業績を公平かつ客観的に図る方法として評価され、身分制社会から社会を解放して社会問題を解決する手段として各国に普及した。
 
日本でも[[明治]]以後こうした試験による選抜が行われてきた。それでも明治初期は、農民層は学問を必要なものと感じておらず、商人層は[[識字|読み書き算盤]]さえ出来ればいとする考え方が支配的であった<ref name="syakaishi">{{Cite book|和書
|author=天野郁夫
|authorlink=天野郁夫
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|isbn=4582765262
|pages=pp. 63-76,80-81,84-88,145-174,186-190,343-357
}}</ref>。農民や商人が学問に目覚めた場合、書物を読み、独学の傍ら同好の士と文通し、師を求めるといった学校によらない学習手段が一般的だった。[[人類学]]者の[[鳥居龍蔵]]と[[植物学]]者の[[牧野富太郎]]もそういう方法によって研究者を志し、ついには[[東京大学|東京帝国大学]]を研究の場にすることができたが、すでに大学は学歴が幅を利かせる時代となっていて、学歴を持たない彼らは差別的な扱いに苦しむこととなった<ref name="syakaishi"/>。
 
明治30年代に入ると[[官僚制|官僚的な組織]]を持った企業が増加し、高学歴者が必要とされるようになってきた。それでも大半の企業は年少者を教育して手代、番頭へと昇進させる伝統的な人事制度をっていて、財閥企業ですら[[富士銀行#戦前 - 安田銀行|安田銀行]]は14歳前後の年少者を採用して教育する学歴無用の採用を自慢していた<ref name="syakaishi"/>。
 
「学歴社会」の存在が意識されたのは[[1960年代]]である。[[1970年]]に行われた[[OECD]]の教育調査団による報告の中で、日本の教育においては「生物的出生」とともに「社会的出生」が存在し、人々の階級決定が節目ごとの入学決定によって行われているとの指摘を受けたことを機に「学歴社会」に関する論争が高まった<ref>{{Cite book|和書
|author=安原義仁
|authorlink=安原義仁
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1991年4月の[[中央教育審議会]]答申では学歴重視の要因について以下のとおり述べている。
 
有能な人材を大量に欲していた明治初期において、学校は人材登用機関としての役割を果たしていた。「良い学校を出れば、出自([[士農工商]])にかかわらず良い将来が約束」され、学校は「自由と希望を与えてくれる場」であり、「社会的地位上昇のための手段」であったとえる。こうして、「学歴主義」が国民に根付いていった<ref name="syakaishi"/>。
 
その後、(特に[[戦後|第二次世界大戦後]]における)社会制度の変更により、多くの者が進学するようになった([[義務教育]]課程に至ってはほぼ100%)。学歴への期待は衰えることなく残っているが、その意味するところは「自由と希望」から「この学校を出ていれば、このくらいの能力がありますよというレッテル」へと変化していった。
 
=== 学歴社会の実例 ===
官僚や法曹といった社会的に大きな影響力を持つ[[エリート]]職種については構成員の殆どがその国々で高い評価を得ている特定の教育機関の出身者で占められている。
 
例えば、[[フランス]]では行政府の人員はほとんどが[[グランゼコール]]の出身者である。また、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でも[[スタンフォード]]や[[アイビーリーグ]]の各大学に代表されるような名門大学の出身者は社会的地位が高い事が多い。
 
==== ヨーロッパ ====
エリートは上流階級によって再生産される事が多いため、学歴社会というよりも[[階級社会]]だという指摘がある。たとえば大学受験では貴族出身の子弟が優遇される場合がある。
 
イギリスでは[[オックスフォード大学]]と[[ケンブリッジ大学]](いわゆる[[オックスブリッジ]])など中世に創立された[[アンシャン・ユニヴァシティー]]の6校は名門校と見なされ敷居が高い。
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==== 日本 ====
難関大学を卒業していれば、その学部に関わらず、あらゆる分野のエリートになる可能性が高くなる。
大企業の殆どは総務や人事、法務などの文系の部門は学部不問となっており、理工系学生も応募可能である(逆に言えば、大学での専門教育に期待していないということだろう)。
 
他にも、教員養成を主とした(ゼロ免課程でない)教育学部から一般企業に入社する者もいる。しかし、医学や看護学などの専門系はその分野に限定される。また各大学の評価には地域により差があり、関東圏で評価されている大学が関西では知名度が低く過小評価されること場合がある。また大学の評価は入学偏差値以外にもOBの活躍具合、就職での優遇、企業内での昇進率、生徒の進路の多様性、国立大学か私立大学かなど様々な要素を考えて決まるので入試偏差値で大学を選んだり、単に国立大学というだけで大学の優劣を決定する人間が多いのは偏差値ばかりを重視する偏った見方として話題にされる大学に在籍する学生からのネットの書き込みへの批判が相次いでいる。
 
学歴によって限定される職種があるのは事実でも、それが人生の決定的要因になっているかどうかは一概には断言出来ない。例えば、大卒者と高卒者以下との生涯年収の差が世界的に見ても小さく、賃金面で見ると学歴は必ずしも決定的要因とは言えない<ref>{{Cite web
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|publisher=[[内閣府]] [[経済社会総合研究所]]
|accessdate=2008-11-16
}}</ref>。先進国でこうした学歴差による賃金格差が少ないのは日本くらいという見方もある。ただ賃金格差が少ないのは経営層と労働者層の賃金格差が他国に比べて相対的に少ないためである。ただし一流企業や公的機関などには学歴による派閥もられ、東大や早慶といった高学歴とされる大学の出身者が新入社員の大部分を占め、昇進なども有利といわれている。また有名大学出身者は安定志向が強く、アカデミックな職業に就く者も多いので、賃金以外の価値観で依然として有力大学出身者が高い地位を独占しているのは事実であり、子供をどうしても高学歴にしたいと小さい頃から塾や予備校に通わせること学歴はあっても人間として未熟な大人が育つことへの懸念も挙がってきている。
 
経済のニューエコノミーへの転換や[[失われた10年|平成不況]]に伴い、企業が新規採用者に[[OJT]]によって職業訓練を行う余力が無くなると企業に代わって都道府県や国([[独立行政法人]][[雇用・能力開発機構]]による[[雇用保険事業]])が[[在職者訓練]]として職業訓練を実施する場合がある。
 
また、従業員供給側の{{要出典範囲|大学に職業訓練の要望が強まった結果、東京大学などを卒業しても一流企業に入れない者が一定数出てきている。|2008年8月10日 (日) 07:00 (UTC)}}企業の大部分が大学にアカデミックとしてではなく、就職予備校としての役割を要求する一方、上位の大学はそれに媚びる必要が無くアカデミックとしての立場を崩さないため、学生の中にはその違いに戸惑い対応できない者も存在することが要因といえる。もちろんこれらの大学卒であっても中小企業を志望する者も少なからず存在している。
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==== アメリカ ====
アメリカはもっぱら最終学歴が重視される社会である。とくに学歴間の賃金格差が激しく、多くの州で高等学校在学者の多い年齢までが義務教育であるために「大卒」が中産階級の切符であるようなものである。コミュニティ・カレッジ(短大に近い二年制大学)卒業程度では一般的に地位が高いとされる職業には就くことができない。この意味ではアメリカは日本より学歴(すなわち学位)社会だとわれることもある。
 
一方で、アメリカの大学は認定機関から教育の質が保障されている。そのため卒業した大学の知名度が低くても[[アイビーリーグ]]に代表される一流校の大学院課程に進学する者が少なくない。また学士課程のみを置く少人数の名門教養大学である[[リベラルアーツ・カレッジ]]も数多く存在し、それらはアイビーリーグのリベラルアーツ・カレッジと互角の価値を持っている。
 
そして実力主義社会であり、専門性に基づく経歴が重視されるため、新卒で大企業に入るには大学で良い成績を修めるか、独自の研究成果を上げていなければならない(実績があり・即戦力たり得る場合はこの限りではない)。[[大学院]]の課程を修了し[[修士]]や[[博士]]の学位を取る者が多い。
 
具体的には弁護士になるためには[[ロースクール]]を卒業しなければならず、また企業の幹部は[[経営学修士]]号を持つことがほぼ通例である。一部の競争率の高い[[ファーム]]や[[企業]]では学位のみならず学校歴を重視し、[[ハーバード]]などの[[アイビーリーグ]]の大学院修了者が多数を占めていることも多い。また、新卒者の場合は履歴書に専攻・成績表などの学業実績を記載・添付することも一般的である。
 
また、一旦社会人になってから大学・大学院に戻る者も多く(軍人が除隊後に入学し卒業する例さえある)、学歴を取得した時期自体で直接差別を受けることは少ない。その意味ではアメリカ社会は学歴社会といっても、敗者が復活しやすい側面可能な環境を有している。このため、日本のように学部偏重型・偏差値志向型・固定型の学歴社会ではない。
 
==== 大韓民国 ====
韓国はかつては極端な学歴社会であり、[[ソウル大学校|ソウル大学]]出身というだけで企業に入社すれば「役員候補」とみなされたが、現在は多少その風潮は緩和された。とはいえ極めて強固な学歴社会であること事自体に変わりはない。また、日本の専門学校と短期大学を合わせた形の[[専門大学]]も存在するが、社会的には4年制大学卒が良しとされる。
 
韓国ではソウルに財閥が集中していることや、国の政策で新設大学をソウル以外の地域にのみ設立することを許可していたためソウルにある[[ソウル大学校|ソウル大学]]、[[高麗大学校|高麗大学]]、[[延世大学校|延世大学]]、[[西江大学校|西江大学]]、[[梨花女子大学校|梨花女子大学]]、[[成均館大学校|成均館大学]]、[[漢陽大学校|漢陽大学]]などと、理系に限れば[[韓国科学技術院|韓国科学技術院 (KAIST) ]]、[[浦項工科大学校]]が難関とされ、ソウル大学・高麗大学・延世大学の英語の頭文字を取った[[SKY]]という言葉もある。近年はアメリカの有名大学・大学院に留学することが一般的になっている。
 
ソウルにある上記の大学の次に[[全北大学校]]や[[全南大学校]]等の地方の有力大学、そして新設の四年制大学と専門大学という序列が見られる。近年では大学編入が盛んになっており、地方の有力大学→ソウルの難関大学、新設の4年制大学または専門大学→地方の有力大学といった具合に学生が移動する現象が見られる。
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;機会の平等が保障されていないのではないかとの疑念
:学歴社会を健全なものであると言うためには万人にとって就学機会や就学条件が平等であるという前提条件が必要であるが、実社会においては社会的・経済的な条件によって、就業機会等が不平等になる事がある。
:そのため、学歴社会の健全性を保障するためには各個人間の初期状態の格差を出来るだけ緩和するような政策・環境(例:充実した奨学金制度、再入学や社会人教育といった就学形態が許されているなど)が必要不可欠となるが、充実した奨学金制度などがあっても、子どもに教育にまつわる投資するお金(家庭教師をつける、塾に行かせる教育費など)の点で差がつくために、健全な学歴社会というのは幻想に過ぎないのではないかと指摘するものである。
;学歴によって人格を非難する傾向が生まれる
:学歴社会が強くなると、そこに学歴信仰が生まれるようになり、学歴のあるなし有無によって人の能力や人格を見る傾向がある。[[偏差値|学力偏差値]]が世間的に知名度が高く、官僚を多く輩出したり、大企業に多く入る大学が優秀な大学とされるため、スポーツ等の功績などで評価のある大学も偏差値が低めである事を理由に低く評価する人や企業も出てしまう。
:また、大学に行っていない者などについて、ごく一部の極端な事例をことさらに挙げて、犯罪者が多い、世間常識がないという主張がされることがあり、([[2ちゃんねる]]の[[学歴板]]など)学歴がないことを理由に人格まで否定する傾向が出てくる。
:大学で遊び惚けたにもかかわらず、大手企業に就職したりする。また、専門学校や高等学校等でまじめに勉学に取り組んだにもかかわらず、「大卒」の条件で門前払いをうけたりする。
;学歴がかならずしも仕事に直結していない
:[[ソニー]]創業者の[[盛田昭夫]]は『学歴無用論』のなかで、学歴によってえられた知識がかならずしも仕事に直結しているわけではなく、学歴を重視することが真の実力重視をさまたげていると主張した<ref>{{Cite book|和書
|author=盛田昭夫
|title=学歴無用論
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=== 社会における学歴の評価 ===
学歴が個人における社会的評価の判断基準として決定的である社会ではその良し悪しによって人間関係のような就業以外の多くの生活領域に影響を及ぼす。
 
このような理由から、[[学歴詐称]]が行われることがあり、近年では著名人や選挙立候補者などによる学歴詐称が話題となっている。学歴詐称行為は昔から存在していた。また、学歴詐称を解雇事由として認める判例(大阪地裁s50.10.31など)も出ている。
 
== 学歴の判断 ==
学歴の高低を「どれほどの期間、どれほど高度な[[教育施設]]で学んだか」という基準で判断すると、[[大学院]]の[[博士課程]](博士後期課程)を修了して博士の学位を有している者([[課程博士]])、その中でも、複数の博士課程を修了して、博士号を多く有している者が最も高学歴であるといえる。
 
ただし、高学歴かどうかを判断する基準は、国や個人によって相違がある。例えば、日本の[[官吏]]はアメリカなど大学院を重視する国から見ると、[[修士]]や[[博士]]の学位を有する者が少ないという点で低学歴となされる事があるが、日本においては大学入学試験の難易度のみで学歴の高低が決定される傾向があり、大学入学試験の偏差値が上位に来ている大学の出身者が高学歴と認識されている<ref>裏返せば、社会は大学入試合格時点における学力に焦点を当てており、大学で何を学んだかについては興味がないということである。同じ大学であっても、どこの学部を卒業しているかが関心の対象になる場合もあるが、その多くは大学で何を学んできたかに関心があるわけではなく、同じ大学であっても学部ごとの入試難易度が異なり、難易度の高い学部を出ているかどうかに関心があるケースと思われる。</ref>。
 
また、各大学の評価は大学の所在地、OBの社会での活躍、企業の中でのイメージ、知名度などによって若干の変動を受ける。特に西日本と東日本での学歴の評価の違いは顕著である。また、大学院卒者は就職初年度から高収入を得るため、企業は大学院卒者を採用しづらい。さらに大学院に行くことにより専門分野が絞られ就職先の候補は少なくなる。これらのことが大学院卒者の少なさの大きな原因になっているという意見もある。
 
大学院を卒業した人の最終学歴は出身大学ではなく出身大学院であることから、在籍していた大学とは違う大学の大学院に進学し学歴を更新しようとする動きがみられる。これを[[学歴ロンダリング]]と称するものもいるが,社会的な評価は定まっていない。
 
日本では学界など特定の分野を除いて大学院卒を特に重視するという事は少ないため、大学を卒業したかどうか([[学士]]号の有無)が学歴の基準になる事が多い。能力があっても、大卒でないと門前払いされてしまう。ただし、大学への進学者数及び進学率が高くなっているため、単に大学を卒業しているかどうかではなく、「出身大学」によって学歴の高低を判断する事が多い。また、「出身学部・学科」「浪人・留年年数」「入学方法」なども大卒のランク付けに利用される事がある<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/05122201/005/004.xls 文部科学省学校基本調査参考資料(2005年度)]によると、現役と過年度高卒者を合わせた大学への進学率は44.2%、短大を含めると51.5%になる。また、[http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/05122201/002/001/001.htm 文部科学省学校基本調査概要(2005年度)]によると、大学の学生数に対する大学院の学生数は8.8%となっている</ref>。
 
== 高等教育と学歴観 ==
経済成長と共に教育が大衆化して子供の教育にかける家庭の力が強くなり、また[[教育基本法]]により法的には開放された教育が行われている現代では大学や大学院へ進学できる者は多くなった。しかしその反面、学習意欲に欠ける者でも、入学・卒業認定基準の甘い学校を選ぶことで、大学卒業や大学院修了という高学歴を得ることでき出来てしまう。
 
学習意欲はあっても社会的な自覚が無かったり、惰性で進学しただけの高学歴者層ができることとなった。大学内での苛めもられるようになり、入学しても不登校や中退する生徒も少なくない。これが1990年代から話題になった、高学歴の[[フリーター]]・[[ニート]]の発生の一因にもなっているという指摘もある。
 
また、日本の大学で特に[[文科系]]専攻学科は「入学は難しく、卒業は易しい」ところが多く<ref>入学の難易度は各国で制度が異なることもあって単純な比較は難しい。卒業について、[http://www.oecd.org/document/34/0,2340,en 2649 37455 35289570 1 1 1 37455,00.html#Tables OECD調査Executive Summary]によると、比較可能なOECD加盟国17か国の平均卒業率は80%程度となっており、ドイツ、ギリシャ、ノルウェー、日本などが90%超となっている。アメリカは70%弱である。実際に難しい・易しいかは一概に言えないが、数字上は卒業しやすくなっている。</ref> 、大学での教育内容や評価の妥当性、ひいては卒業生の能力を保証するという学歴の社会的機能にも疑問が呈されている。大学のレジャーランド化に歯止めがかからないので、学歴と学習歴は一致しない。
 
偏差値の高い大学の生徒は入学までに高額の教育費をかけている場合も多い。私立の進学高校へ通った上学習塾や予備校にも通える生徒と、それが叶わぬ家庭の生徒では進学先に差が出やすい。また、10代に受験勉強にのみ専念することが大切なことであるとして同じく進学する者とのみ一緒に育った生徒はそうでない生徒に対する理解に欠けていたり受験勉強以外のことを学んでいないという偏った点もあり、問題があるともされている。
 
昨今は大学進学のできる学力や経済力があっても、大学に進まないで働く、専門学校へ行く者もるなど多様化が進んでいる。
 
官庁や大手企業の中には留学制度を設けている所もあり、社会人となってから(特に海外の)大学院の修士号を得させる場合がある。
 
大学などの高等教育機関では[[生涯学習|生涯教育]]の理念に基づく社会人学生の増加<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/05122201/002/001/001.htm 文部科学省学校基本調査概要(2005年度)]によると、大学院生のうち社会人が占める割合は17.8%となっている。</ref>や、経営上の要請などから編入学の機会を増加させている。また、[[大学院重点化]]の対象となっている大学院では定員総数が学内進学希望者(内部進学者)数より大幅に勝っていることが多い。このことから、結果として大学院は内部進学者よりも外部進学者の数が多い「傾向」がある。また、[[大学院大学]]では学部を持たないため、100%の学生が外部進学者となる。
 
== 学校の卒業に準じて扱われるもの ==
;[[中学校卒業程度認定試験]](中卒認定試験、中認、中検)
:受験者は少ないが、中学校またその同等学校を卒業したことが無ていない人が、高等学校またはその同等学校に入学する資格を得るための試験。公的には「中学校を卒業した者と同等以上の学力を有する者」とされる。ただし、受験でき出来るのは[[義務教育就学免除者]]に限られていたが、2003年より、[[不登校]]などによる非卒業者も受験でき出来るようになった。
;[[高等学校卒業程度認定試験]](高卒認定試験、高認、旧・[[大学入学資格検定]]〔旧・大検〕)
:高等学校またはその同等学校を卒業したことが無ていない人が、大学に入学する資格を得るための試験。公的には「[[高等学校]]を卒業した者と同等以上の学力を有する者」とされる。ただし、公務員や一部の民間企業を受ける時の橋渡しにはなるものの、現状では高校卒業=高卒とみなされる風潮が強いのも事実である。
:以前は中学校を卒業していなければ受験できなかったが、現在は中学校を卒業していなくても受験できるようになった。なお、中学を卒業していない者がこの試験に合格した場合、上記の[[中学校卒業程度認定試験]]にも合格したものとみなされる。
:なお、上記の認定試験は高卒の学歴自体が得られるわけではないが、認定試験合格後大学に入学、卒業することができる。
;難関国家資格の一次試験