「卜部兵吉」の版間の差分

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==略歴==
[[嘉吉の変]]([[1441年]])の後[[播磨国]](現在の[[兵庫県]]南西部)の江井ヶ島(現[[明石市]]大久保町)に定住していた[[卜部氏]]末裔である。卜部八右衛門(四代目 卜部八兵衛)の次男として[[嘉永]]6年([[1853年]])に生まれ、16歳より[[神戸]]の[[明親館 (兵庫)|明親館]]に学ぶ。その後、明石の[[景徳館]]で教鞭を執った後、江井ヶ島に戻り、家業の酒造業から分家し[[明治7年]]([[1873年]])に独立開業。
 
[[明治11年]]([[1877年]])には24歳で県会議員に当選。江井ヶ島での酒造業の発展を期し、[[灘]]に匹敵する酒造地域にすることを狙い、地域の個人酒造家を組織化し[[株式会社]]とすることを計画。[[明治21年]]([[1888年]])資本金3万円で「江井ヶ嶋酒造株式会社」を創業した。創業時に「日本魂」、明治27年に「百合正宗」、明治28年に「神鷹」などの清酒を発売した。
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[[大正12年]]([[1923年]])からは長男の卜部退三も経営を補佐し、兵吉を支えるが、[[昭和元年]]([[1926年]])[[12月30日]]に74歳で没する。
 
==卜部家==
[[卜部氏]]は古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族。[[平安時代]]前期、[[伊豆国]]の卜部氏出身である[[卜部平麻呂]]([[神祇官|神祇権大佑]])([[807年]]~[[881年]])を実質的な祖とする。子孫のうち[[吉田神社|吉田社]]系[[吉田家]]で、有名な者に[[吉田兼好]]がある。その卜部家の遠祖が江井ヶ島に定住したのは[[嘉吉の変]]([[1441年]])の後とされる。
 
==外部リンク==