「ダービー伯爵」の版間の差分

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[[エドワード・スタンリー (第17代ダービー伯爵)|17代伯エドワード]]は16代伯フレデリックの息子で、先祖達と同様に政治家であり、馬主であった。彼は[[デビッド・ロイド・ジョージ]]内閣で[[戦争大臣 (イギリス)|戦争大臣]]を務めたほか、1918年から1920年まで[[フランス駐箚イギリス大使]]となった。彼の長男[[エドワード・スタンレー (1894-1938)|エドワード]]と次男[[オリヴァー・スタンレー|オリヴァー]]もともに保守党政治家で、[[1938年]]の[[ネヴィル・チェンバレン]]内閣ではそろって入閣している。
17代伯は競走馬の生産者および馬主として、一族の中で最も大きな成果を挙げた。[[1924年]]自らの生産馬サンソヴィーノ({{lang|en|Sansovino}})によって曾々祖父12代伯以来137年ぶりに[[ダービーステークス|ダービー]]を勝ち、その後も[[ハイペリオン (競走馬)|ハイペリオン]]で2度目のダービーを、トボガン({{lang|en|Toboggan}})でオークスを、[[アメリカ合衆国財務次官]][[オグデン・ミルズ]]と共同で購入した[[カンタール]]で[[凱旋門賞]]を、それぞれ制している。
 
17代伯は長男よりも長生きしたため、18代伯となったのはその長男の[[エドワード・スタンリー (第18代ダービー伯爵)|エドワード]]となった。