「リチャード・マークス」の版間の差分

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==転機==
 
デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたリチャードは、1991年に満を持してアルバム「Rush Street」を発売。第一弾シングル「Keep coming back」はあらゆるフォーマットのシングルレコードが準備されるほどだった。また勝ち馬に乗りたいアーティストがレコーディングや発売記念パーティに集合した。
しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。前2作のような明快なポップ・ロックではなく、やや分かりにくい曲が多かったためファンの期待とズレが生じたことが考えられる。第二弾シングル「Hazard」の後、ファンからの評判もよかった「Take this heart」をシングルカットしたが、時既に遅かった。これ以降、1994年にシングル「Now and Forever」が全米7位になるヒットがあったものの、アルバムのセールスは振るわなかった。

1990年代半ばよりプロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、自らの創作活動やコンサートツアーは行わなくなっている。近年では、アイドルグループの[[イン・シンク]]や[[バックストリート・ボーイズ]]に曲を提供している2004年には、[[ルーサー・ヴァンドロス]]の「Dance with my
father」をルーサーと共作し、[[グラミー賞]]最優秀楽曲賞を受賞した。
 
==アルバム==