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江口磐世☆ (会話 | 投稿記録)
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'''伊藤 仁斎'''('''いとう じんさい'''、[[寛永]]4年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]([[1627年]][[8月30日]]) - [[宝永]]2年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]([[1705年]][[4月5日]]))は、[[江戸時代]]の前期に活躍した[[儒学者]]・[[思想家]]。[[京都]]の生まれ。日常生活のなかからあるべき[[道徳|倫理]]と[[人間]]像を探求して提示した。
 
[[諱]]は、はじめ維貞、のち維禎。[[仮名 (通称)]]は、源吉、源佐、源七。[[屋号]]は、鶴屋七右衛門。仁斎は[[号 (称号)|号]]であり、[[諡]]号は古学先生。
 
== 生涯 ==