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=== 戦績 ===
==== 3歳-4歳(1965年-1966年) ====
[[1965年]][[10月3日]]、[[中山競馬場]]で野平祐二を鞍上にデビューを果たす。デビュー戦、2戦目は勝てず、[[津田昭]]に乗り替わった3戦目で漸く初勝利を挙げる。
 
以降、[[日本の競馬の競走体系#競走条件区分|条件戦]]を2連勝。4歳初戦、[[重賞]]初挑戦の[[弥生賞]]こそ6着だったものの、続く[[京成杯]]で重賞初勝利を挙げ、[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]候補に挙げられた。ところが、クラシック初戦の[[皐月賞]]では5番人気に支持されるも、[[ニホンピローエース]]の21着と大敗、[[東京優駿]]では28頭立ての27番人気と全くの不人気で、[[テイトオー]]の8着と敗れた。
 
夏は休養に充て、秋は[[京成杯オータムハンデキャップ|京王杯オータムハンデキャップ]]で2着(これ以降、主戦が野平で固定)で2着、続く[[セントライト記念]]で3着となり、クラシック最後の一冠・[[菊花賞]]に臨む。13番人気と低評価ながら最後の直線で猛然と追い込み、1番人気の[[ナスノコトブキ]]と馬体を合わせて際どい勝負に持ち込んだ。しかし10数分に及んだ写真判定の末、ハナ差の2着なりクラシック制覇は成らなかった。同年の有馬記念でも6番人気ながら、2着[[カブトシロー]]にハナ差の3着に入り、4歳シーズンを終えた。
 
==== 5歳-6歳(1967-1968年) ====