「環歌子」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
[[1901年]](明治34年)[[10月28日]]、[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁]][[函館市|函館区]](現在の[[北海道]][[函館市]])に生まれる。1918年(大正7年)、北海道庁立函館高等女学校(現在の[[北海道函館西高等学校]])を卒業して上京、「[[浅草オペラ]]」の[[アサヒ歌劇団]]に入団、[[浅草公園六区]]の「[[駒形劇場]]」で初舞台を踏んだ<ref name="環" />。
 
[[1921年]](大正10年)7月、[[国際活映]][[新派]]の[[田村宇一郎]]監督作品のロケーションにエキストラ出演したところ、田村に認められ、同社の巣鴨撮影所に入社した。ここから「'''環歌子'''」を名乗る。同年[[9月17日]]公開の『秩父嵐』でスクリーンデビューを果たす。二枚目俳優[[葛木香一]]の相手役をつとめ、[[1923年]](大正12年)4月、京都に設立された牧野省三の「[[マキノ映画製作所]]」に引き抜かれる。このときの仲間に大部屋時代の阪東妻三郎がいた。はじめは現代劇女優であったが、牧野自らの監督作『加賀の若殿』で初の時代劇女優となる。従来マキノでは、女役は[[女形]]の[[花柳紫紅]]がつとめていた。このとき環はマキノのトップ女優であった<ref name="環" />。またこの頃、付き人に後の俳優の[[杉狂児]]がいた。