「藤原道隆」の版間の差分
編集の要約なし
(→生涯) |
|||
[[正暦]]元年([[990年]])正月、道隆は長女の[[藤原定子|定子]]を一条天皇の女御として入内させた。同年5月に病のため兼家が関白を辞すると、代わって関白、次いで[[摂政]]となった。7月、兼家は死去する。
『[[古事談]]』などによると、兼家は自分の後継をどの息子にするかを腹心の[[藤原有国|藤原在国]](後の有国)、[[平惟仲]]、[[平国平]]と諮った。
10月に定子を[[中宮]]とし、帝の外舅そして岳父となった。正暦2年([[991年]])内大臣の官を辞して道兼に譲った。正暦4年([[993年]])4月22日に再び関白となる。
|