「ポーランド・リトアニア合同」の版間の差分

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*1499年 - [[クラクフ・ヴィリニュス合同]]…個人的な紐帯である人的同君連合から支配者家門を同じくする[[王朝連合]]へと移行、リトアニアの主権を再確認。
*1501年 - [[ミェルニク合同]]…人的同君連合の再確認。
*[[1569年]][[7月1日]] - [[ルブリン合同]]…制度的国家合同が成立、半封建的、半連邦的な「[[二民族のポーランド・リトアニア共和国]]」が成立した。
*[[1791年]][[5月3日]] - [[5月3日憲法]]制定。[[ポーランド王国]]と[[リトアニア大公国]]が消滅し、その領土には統一国家が創設された。[[二民族の相互保証]](Zaręczenie Wzajemne Obojga Narodów)によって統一国家内の2国家体制の存続が取り決められたが、憲法は1792年、[[ロシア帝国]]によって完全に無効とされた。