「恋は緑の風の中」の版間の差分

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== エピソード ==
*[[家城巳代治]]監督は思春期の性を描いた本作を製作する前に、十代の生の意見を伺いたいということで、[[1971年]]に[[東京都立三鷹高等学校|三鷹高校]]で高校生達を集めたシナリオ朗読会を放課後を利用して実施した。立ち会った当時の高校生達の中には映画研究会に所属する一介の映画少年だった頃の[[金子修介]]監督の姿もあった。金子監督は「8ミリで映画を撮っている」と家城監督に言ったところ、「'''ほう、お仲間ですな'''」と本気で言ってくれたそうで、それが映画監督を本格的に目指すきっかけになったと、自著「ガメラ監督日記」([[1998年]][[1月10日]][[小学館]]刊)の中で述懐している。
*本作で本格スクリーン・デビューした[[原田美枝子]]は、当時高校一年生だった。夏休みを利用して神社泊り込みの合宿形式で撮影に参加したが、クランクアップが伸びに伸びて新学期には間に合わず結局学校を休むハメになり、更に公開後ヌードシーンが学校で問題になったため、夜間高校への転校を余儀なくされている。
*本作の舞台となった[[埼玉県]][[深谷市]]で[[2004年]][[10月10日]]から6日間開催された第1回深谷市民映画祭(現・花の街ふかや映画祭)の初日に、製作から30年振りに本作が無料上映され、当日は原田美枝子がトークショーに招かれた。原田はオファーを引き受ける際、「ちょっと恥ずかしいけど。当時、独立プロの作品で予算が無かった中で、深谷市の方々に大変お世話になったので」とコメントしている。