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'''岡本 半介'''(おかもと はんすけ、[[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年)-[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]([[18981812年]][[1月5日]]) - [[明治]]31年))([[1898年]])[[4月12日]])は、[[幕末]]期の[[彦根藩]]の[[家老]]、漢詩人。だが半介は初代[[岡本宣就]]以来続く代々の襲名で、この幕末の有名な半介は「'''黄石'''」の号で知られる人物である。名は宣迪、字は吉甫
 
彦根藩士の宇津木久純四男で、彦根藩の家老職を継ぐ岡本氏の養子となって家督を継いだ。[[尊皇攘夷]]派であったため、開国派の[[井伊直弼]]と対立して罷免される。[[1860年]]の直弼が[[桜田門外の変]]でなくなった後は子の[[井伊直憲]]に仕え、直弼時代の寵臣・[[長野主膳]]を粛清するなど、政情の変化に対応して藩政をリードしたが、[[徳川慶喜]]に過度に依存した結果、第二次征長戦争に出兵して大損害を蒙り藩の評判をさらに失墜させた。王政復古段階で、薩長との提携を重視した[[谷鉄臣]]や[[大東義徹]]など下級藩士出身者に主導権を奪われる。
 
漢詩人としても知られ、[[中島棕隠]]・[[梁川星巌]]・[[大窪詩仏]]らとの交流があった。詩集に「黄石斎集」がある。
1898年、89歳で死去。
 
1898年、8988歳で死去。
[[Category:幕末維新側人物|おかもと はんすけ]]
 
[[Category{{DEFAULTSORT:1811年生|おかもと はんすけ]]}}
[[Category:1898年没|おかもと はんすけ幕末維新側人物]]
[[Category:日本の漢詩人]]
[[Category:1812年生]]
[[Category:1898年没]]
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