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[[Image:AtagoYama2007-8.jpg|thumb|240px|right|同じ-方向から夏(2007年8月)]]
'''愛宕山'''(あたごやま)は、[[宮城県]][[仙台市]][[太白区]]向山にある山である。山の名は山上にある[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]に由来する。かつては'''向山'''(むかいやま)とも呼ばれた。標高75m。
 
== 地理 ==
愛宕山は、[[仙台市都心部]]の南、[[広瀬川 (宮城県)|広瀬川]]をはさんで右岸にあり、川と平行に東西に尾根を伸ばす。この東西方向で傾斜が比較的緩いが、西側は広瀬川の曲流部の外側であるため、[[浸食]]を受けて傾斜が急であり、北側は広瀬川に曲流部の内側であるが[[河岸段丘]]の段丘崖となっているため傾斜が急である。段丘崖下には段丘面があり、人家がある。江戸時代には、北山の寺社と並んで庶民が仙台城下町を見下ろせる場所であったが、現代では都心部の高層ビルで地平線が区切られ、ビル街の北までは見渡せない<ref>田村昭・編 『仙台のバス停物語』1巻、宝文堂、1996年、ISBN 4-8323-0082-2、80頁。</ref>。
 
山の東端は、[[広瀬河畔通り]]を作ったときに切り取られた。この道路は、北に繋がる[[愛宕大橋]]を渡って都心部に通じる。山上の東側に愛宕神社があり、東から石段を登る参道がある。他に、車が登れる坂道が南側から回り込むようにつけられている。山上の西側には[[虚空蔵堂]]という寺院があり、山の南から登る。
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中世まで、[[大窪谷地]]を通って当時は荒れ野だった今の仙台市都心部を通過する道がよく使われた。16世紀前半に[[経塚]]が築かれ、[[1931年]](昭和6年)に発掘されて[[愛宕山経塚]]と呼ばれた。
 
江戸時代に[[愛宕神社 (仙台市)|愛宕神社]]が山上に建てられ、[[経ヶ峯]]から虚空蔵堂が移転してきた。愛宕山は[[奥州街道]]から外れていたが、嘉永5年([[1852年]])に立ち寄った[[吉田松陰]]など、仙台を訪れるついでに登る人も多かった<ref>三原良吉 『郷土史仙臺耳ぶくろ』、宝文堂、1982年、63-64頁。</ref>。ここから仙台の町が展望できたためである。現代の観光客は[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]から仙台市街を見下ろすが、そこは[[仙台城]]本丸であるから、江戸時代に一般人が立ち寄ることはできなかった。
 
5月の[[端午]]の節句には、町に林立する幟旗を眺めるために登る人がいた<ref>1954年刊仙台市史編纂委員会 [[仙台市史]]』第1巻(本篇1)、仙台市役所、1954年、395頁。</ref>。[[仙台藩]]ではこの日に武家が幟を上げることを禁じていたので、幟は町人町にそって列をなした。茶店で売る土器の平皿を山上から広瀬川に向けて投げる遊びがあったが、川に届く前に落ちてしまうのが常であった<ref>鈴木省三・著、青木大輔・中山栄子・編『仙台風俗志(全)』、歴史図書社、1977年、96頁。原著は1937年。</ref>。
 
明治時代の[[鉄道唱歌]]の中では、有名な大和田建樹作詞の[[1900年]](明治33年)「地理教育鉄道唱歌」第3集で「愛宕の山の木々青く、広瀬の川の水白し」と、同年の四釜仁通作詞「智育鉄道唱歌」第1集でも「眺も尽ぬ愛宕山、山郭公空高く」と歌われた<ref>JR東日本仙台駅『仙台駅百年史』、1987年、31頁。</ref>。「展望は市内第一」との評は、昭和に入っても変わらない<ref>鉄道省・編『改版日本案内記・東北篇』、博文館、1937年、106頁。</ref>。
 
愛宕山は[[1934年]](昭和9年)11月に、19.78ヘクタールをもって「愛宕[[風致地区]]」に指定された<ref>1955年刊仙台市史編纂委員会 『仙台市史』第2巻(本篇2)、仙台市役所、1955年、361頁。</ref>。仙台の市街が拡大し、愛宕山の麓まで住宅が建てられると、斜面の横穴は民家の物置に使われた。第2次世界大戦中には、防空壕に転用されたものもあった。こうした転用で多くの遺物・遺骨が失われた。さらに後には、宅地造成のために壊されたものもあった。
 
1970年代に、[[広瀬河畔通り]]が建設され、愛宕山の東の尾根が削られた。[[1976年]](昭和51年)には、愛宕大橋建設に伴う道路工事で愛宕山装飾横穴古墳が見つかり、緊急発掘の後、取り壊された。
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==参考文献==
*鈴木省三『仙台風俗志』、1937年。鈴木省三・著、青木大輔・中山栄子・編『仙台風俗志(全)』、歴史図書社、1977年に収録。
*仙台市史編纂委員会 『[[仙台市史]]』第1巻(本篇1)、仙台市役所、1954年。
*仙台市史編纂委員会 『仙台市史』第2巻(本篇2)、仙台市役所、1955年。
*田村昭編 『仙台のバス停物語』第1巻、宝文堂、1996年、ISBN 4-8323-0082-2。
*三原良吉 『郷土史仙臺耳ぶくろ』、宝文堂、1982年。
*JR東日本仙台駅『仙台駅百年史』、1987年。
 
== 関連項目 ==