「平野龍一」の版間の差分

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その[[刑法学]]説は、[[刑罰]]論において、前期旧派と新派はリベラルで科学的である点で共通性があるとして、刑法を社会統制の手段として実質的・機能的に考察する立場から、後期旧派の道義的応報刑論を批判して、刑罰を科すことを予告することによって犯罪抑止を目的とする'''抑止刑論'''を展開した上で<ref>上掲『刑法総論I』11~12、21~29頁</ref>、[[犯罪]]論において、[[瀧川幸辰]]が展開した前期旧派を基調に、[[違法]]論において、[[結果無価値]]論を採用して刑法の脱倫理化・客観化を推し進めた<ref>上掲『刑法総論I』49~51頁</ref>。
 
1956年に刑法全面改正作業が師の小野を会長とする刑法改正準備会で始められ、数次の改定を経て、その成果として改正刑法草案が発表されると、平野は、これを戦前の国家主義と応報刑論に基づくもので刑法の任務を国家的道義の維持と解し、積極的責任主義に陥る危険があると厳しく批判したため改正作業は頓挫した。
 
その[[刑事訴訟法]]学説は、従来の通説であった[[職権主義]]構造を本質とする立場(審判の対象は客観的な嫌疑である公訴事実も含まれるとする。法典起草者でもある団藤重光も、公訴事実も潜在的には審判対象であると解する)を批判し、[[当事者主義]]構造をその本質とし、審判の対象は一方当事者である検察官が主張する訴因であると主張して通説的立場となり、現在の刑事訴訟法学の基礎を形成した<ref>上掲『刑事訴訟法』131~144頁</ref>。