「マット・バスビー」の版間の差分

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;悲願達成
[[Imageファイル:Sir_Matt_Busby_Statue.jpg|thumb|[[オールド・トラフォード]]正面玄関に建つマット・バスビーの銅像]]
一時はフットボールへの情熱を失ったバスビーだったが、夫人らの説得もあり翌シーズンから現場に復帰。同じく事故のショックから立ち直ったボビー・チャールトンをチームの柱に据え、クラブの建て直しに着手した。
 
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マンチェスター・ユナイテッドのホームスタジアム、[[オールド・トラフォード]]の現在の住所は "Sir Matt Busby Way" と呼ばれている。スタジアム正面玄関には左手にボールを抱えたバスビーの像が鎮座し、スタジアムにやってくる人々を出迎えている。
 
== 備考 ==
*バスビーは[[1958年]]1月から、マンU監督と兼務する形で[[サッカースコットランド代表|スコットランド代表]]監督に就任していた。同年開催の[[1958 FIFAワールドカップ]]を見据えての人事であったが、2月に前述のミュンヘンでの事故によって指導することが出来なくなり、代わって[[ドーソン・ウォーカー]]が監督代行として本選で指揮を執った。ちなみにこのわずか1ヶ月の在任期間にバスビーは2試合の指揮を執ったが、この中でのちにマンUの中心選手となる[[デニス・ロー]]に代表初キャップの機会を与えている。
*マンチェスター・ユナイテッドの愛称として有名な "The Red Devils" ([[赤い悪魔]])は、バスビーによって名付けられた。[[1960年代]]初頭、[[マンチェスター]]近傍の[[ラグビー]]クラブ、Salford Rugby Club (現[[:en:Salford City Reds|Salford City Reds]])の愛称だった "The Red Devils" の響きをバスビー自身が気に入り、採用したものだという。
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*選手時代、[[国勢調査]]にて調査員に職業を尋ねられたバスビーは "footballer" と答えたが、調査員は "fruit boiler" と聞き違えそのまま記載されたことがある。
 
== 所属クラブ ==
;選手として
*1928 - 1936 : [[マンチェスター・シティFC]] {{flagicon|England}}
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*[[イングランドサッカー殿堂]] (2002)
 
== 外部リンク ==
* [http://www.liverpoolfc.tv/team/past_players/players/busby/ Official player profile at Liverpoolfc.tv] {{en icon}}
* [http://www.lfchistory.net/player_profile.asp?player_id=557 Player profile at LFChistory.net] {{en icon}}
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{{先代次代|{{flagicon|Scotland}} [[サッカースコットランド代表|スコットランド代表]][[監督]]|1958|{{flagicon|Scotland}} [[ドーソン・ウォーカー]]|{{flagicon|Scotland}} [[アンディ・ビーティー]]}}
{{DEFAULTSORT:はすひ まつと}}
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[[Category:スコットランドのサッカー指導者]]
[[Category:スコットランドのサッカー選手]]
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[[Category:1909年生]]
[[Category:1994年没]]
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[[ar:مات بسبي]]
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[[simple:Matt Busby]]
[[sv:Matt Busby]]
[[th:เซอร์แมตต์ บัสบี้]]
[[tr:Matt Busby]]
[[vi:Matt Busby]]