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'''天田 勝正'''(あまだ かつまさ、[[1906年]][[3月15日]] - [[1965年]][[2月27日]])は、日本の[[政治家]]。元[[参議院議員]](3期)。
 
[[埼玉県]][[大里郡]]妻沼村(現[[熊谷市]])に生まれる。[[東京理科大学|東京物理学校]]に学び、[[日本大衆党]]に参加。党埼玉県連常任委員・[[全日本農民組合連合会|日本農民組合]]中央常任委員を歴任し、[[秋田県]]前田村(現・[[北秋田市]])の[[小作争議]]を指導した。
 
戦後[[日本社会党]]・[[日本農民組合]]の結成に参加し、[[1947年]]の[[第1回参議院議員通常選挙]]に埼玉地方区から出馬し当選。[[1950年]]の[[第2回参議院議員通常選挙|参院選]]では全国区から出馬するが落選、社会党の分裂では[[右派社会党|右派]]に属し[[1953年]]の[[第3回参議院議員通常選挙|参院選]]では埼玉選挙区に戻り返り咲きを果たす。
 
[[社会党再統一]]後に[[鈴木茂三郎]]委員長の下で選挙対策副委員長に就任するが、[[1959年]]に社会党を離党。[[1960年]]1月[[民社党|民主社会党]]の結成に参加し、党埼玉県連会長に就任。[[1963年]]には[[西村栄一]]委員長の下で党参議院議員会長に就任するが、[[1965年]]の参院選を前に急死。
 
[[Category:1906年生]]