「中村歌右衛門 (4代目)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
六歌仙容彩
m編集の要約なし
3行目:
[[江戸]][[下谷]]の[[茶屋]]の子で[[1807年]]に[[藤間流]]振付け師[[藤間勘十郎|藤間勘十郎]](後の3代目[[藤間勘兵衛]])の門下で、藤間亀三郎と名乗る、[[1808年]]に江戸に下っていた[[中村歌右衛門 (3代目)|三代目中村歌右衛門]]の門下に入り中村藤太郎と改名。[[1813年]]3月に[[中村鶴助]]と改名。[[1825年]]に三代目歌右衛門の俳名の[[中村芝翫|芝翫]]を二代目として襲名し人気を得る。[[1836年]]1月に四代目[[中村歌右衛門]]を襲名。
 
当り役は多く『[[一谷嫩軍記]]』の[[熊谷直実]]、『[[京鹿子娘道成寺]]』の白拍子花子など。体格、容貌に恵まれ、世話物より時代物を得意とし所作事も優れた。[[1831年]]3月、江戸[[中村座]]で変化舞踊『[[六歌仙容彩]]』を初演。[[遍照|僧正遍照]]、[[文屋康秀]]、[[在原業平]]、[[喜撰|喜撰法師]]、[[大友黒主|大判黒主]]を踊っ務めた。
 
門下には後の養子[[中村芝翫 (4代目)|四代目中村芝翫]]、[[中村翫雀 (3代目)|三代目中村翫雀]]がいる。