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同年、[[日活]]脚本部と契約するが、当時の日活のアクション路線に馴染めず自身の企画がなかなか通らず、日活の業績悪化が進んだ[[1970年]]に解雇される。しかし [[日活ロマンポルノ]]時代になると[[1972年]]から[[1977年]]までフリーの脚本家として脚本を13本執筆し、この頃に現在の昼ドラに続く「ドロドロ劇」の原型を作る。
 
その一方で[[1973年]]に[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]で発表した『津軽じょんがら節』が[[キネマ旬報]]ベストテン1位、]]』[[1975年]]発表の自伝的作品『[[祭りの準備]]』がキネマ旬報脚本賞、ベストテン2位(劇映画1位)と高く評価される。そして連続ドラマも執筆するようになり、[[1978年]]の[[日本放送協会|NHK]][[ドラマ人間模様]]の『[[事件 (大岡昇平)|事件]]』が現在でもDVD発売されるほどの評価を受けたのがきっかけに(ちなみに続編の執筆依頼があったが辞退している)、翌年から[[大河ドラマ]]の脚本を担当するようになり、大河ドラマでは最多となる4作品(『[[草燃える]]』([[1979年]])、『[[春の波涛]]』([[1985年]])、『[[炎立つ (NHK大河ドラマ)|炎立つ]]』([[1993年]])、『[[元禄繚乱]]』([[1999年]])、5年に一回のペースで執筆)の脚本を担当している。
 
[[1989年]]、NHKドラマ『恋愛模様』『海照らし』『幸福な市民』で第8回[[向田邦子賞]]を受賞。