「キリシタン大名」の版間の差分

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Sapphire123 (会話 | 投稿記録)
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[[フランシスコ・ザビエル]]は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の日本をよく理解し、まず各地の[[戦国大名]]たちに領内での布教の許可を求め、さらに布教を円滑に進めるために大名自身に対する布教も行った。後から来日した[[宣教師]]たちも同様に各地の大名に謁見し、領内布教の許可や大名自身への布教を行っている。その際、大名たちの歓心を得るために、布教の見返りに[[南蛮]]貿易や武器の援助などを提示した者もおり、大名側もこうした宣教師から得られる利益をより多く得ようと、入信して歓心を買った者もいた。入信した大名の領地では、特に顕著にキリスト教が広がることになった。しかしキリスト教が広まると、キリスト教の教義や、キリシタン大名の人徳や活躍ぶり(特に[[高山右近]])に感化され、自ら入信する大名が現れ、南蛮貿易に関係のない内陸部などでもキリシタン大名は増えていった。
 
キリスト教に入信した大名とその配下達の中には、宣教師たちの意見を聞き入れ領地内の[[寺院|寺]]や[[神社]]を破壊したり焼き払ったり、教化を拒む領民を奴隷として海外へ輸出するなどの行動を取った者もいた。[[仏教]]や[[神道]]を奉ずる大名の中にも、僧侶たちの意見を聞き入れ外来の宗教であるキリスト教を『邪教』として弾圧する者もおり、キリスト教徒と日本の旧来の宗教の信者達との間に憎悪と対立を深めていくことになった。また、[[豊臣秀吉]]により[[バテレン追放令]](伴天連追放令)が出され、キリシタン大名に対する政治的な圧力が強まり、多くの大名が[[改易]]、もしくは仏教か神道への改宗を余儀なくされ([[強制改宗]])、キリスト教の禁教と迫害の時代に入っていった。
 
==江戸時代==