「安治川部屋」の版間の差分

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3代目安治川親方が体調不良を理由に廃業すると、部屋付き親方となっていた元[[横綱]][[旭富士正也|旭富士]](現役時代は[[大島部屋]]所属)の旭富士親方が4代目[[年寄]]安治川と部屋を継承。同時期には『[[週刊ファイト]]』誌に「来たれ若者、相撲の世界へ」と題した一面広告を毎週打ち、話題になる。関脇[[日馬富士公平|安馬]]、[[安美錦竜児|安美錦]]や幕内[[安壮富士清也|安壮富士]]、先代からの弟子である[[十両]][[陸奥北海勝昭|陸奥北海]]などを輩出し、後進の指導に当たっていた。
 
元旭富士の安治川親方が部屋を引き継いでからしばらくの間は、弟子の四股名に「富士」をつけさせていたが、部屋を継承してから約1年後以降に入門した弟子は、四股名の頭文字に安治川の「安」をつけさせている。<ref>[[2008年]]1月場所終了後に伊勢ヶ濱親方が幕下以下の[[力士]]全員の四股名を「安」を外したものにすると発表し、安馬・安美錦・安壮富士についても昇進など条件に合えば改名させるとした。2008年11月場所後に安馬が[[大関]]に昇進した際に、四股名を日馬富士に改名させた。</ref>部屋を継承して3年後の[[1996年]]5月場所には、春日富士、陸奥北海、智ノ富士(1993年5月場所初土俵、[[1994年]]3月場所のみ安智泉と名乗っている)の3人を除く全力士が「安」の字がついた四股名を名乗っていた。
 
[[2007年]]11月、安治川親方が9代[[伊勢ヶ濱]]を襲名したことにより、部屋の名称も[[伊勢ヶ濱部屋]]に変わることになった。これにより安治川部屋の名は消滅した。