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== 経歴 ==
[[ボストンカレッジ]]と[[ペンシルベニア大学]]でコーチを務めたあと、[[NBA]]の[[デトロイト・ピストンズ]]のヘッドコーチに就任。[[1989年]]と[[1990年]]に2年連続[[デトロイト・ピストンズ]]を優勝へ導き、その指導力を買われて、[[1992年]]の[[バルセロナオリンピック]]で[[ドリームチーム]]の指揮を取っている。
 
また、ピストンズを指揮して、それまで2シーズン以上連続で勝ち越したことの無いチームで9シーズン連続で勝ち越すことに成功している。ピストンズ時代は[[バッド・ボーイズ]]と言われた荒くれ者集団をうまくまとめてチーム力を発揮させることに成功。[[アイザイア・トーマス]]、[[ビル・レインビア]]、[[デニス・ロッドマン]]などのダーティー・ヒーローたちから尊敬を受けていた
 
その後、[[ロサンゼルス・クリッパーズ]]、[[ニュージャージー・ネッツ]]、[[オーランド・マジック]]のヘッドコーチを歴任。それぞれのチームの成績を立て直し、多くのシーズンでプレイオフに進出させることに成功している。
合計で14シーズンの間、コーチを務め、638勝437の記録を残している。これらのコーチとしての功績により[[1994年]][[5月9日]]に[[バスケットボール殿堂]]入りを果たしている。
 
合計で14シーズンの間、コーチを務め、638勝437の記録を残している。これらのコーチとしての功績により[[1994年]][[5月9日]]に[[バスケットボール殿堂]]入りを果たしている。自身は[[NBA]]での選手歴はないが、[[デトロイト・ピストンズ]]は彼の功績をたたえ、背番号2をチャック・デイリーの[[永久欠番]]とした
 
[[2009年]][[5月9日]]に永眠した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/flash/KFullFlash20090509121.html ドリームチーム監督デーリー氏が死去] スポーツニッポン 2009年5月10日閲覧</ref>。{{没年齢|1930|6|20|2009|5|9}}。
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