「権堂町 (長野市)」の版間の差分

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町域は、[[長野中央通り|中央通り]]と[[長野大通り]]・緑町通りとの間を結ぶ'''権堂通り'''(権堂アーケード)を軸に広がっている。北は[[長野 (長野市)#東町|東町]]・[[鶴賀 (長野市)#田町|田町]]、東は[[鶴賀 (長野市)#西鶴賀町|西鶴賀町]]、南東は[[鶴賀 (長野市)#緑町|緑町]]、南は[[鶴賀 (長野市)#上千歳町|上千歳町]]・[[鶴賀 (長野市)#問御所町|問御所町]]、西は[[長野 (長野市)#東後町|東後町]]と接する。
 
「権堂」の名は権堂アーケード西端にある[[往生院]]([[807年]](大同2年)開山)に由来する。[[鎌倉時代]]に[[源頼朝]]の命で[[善光寺]]が再建される際、御本尊の[[阿弥陀如来]]像が一時的にこの往生院に移されたことから、「仮堂」の意味でこの一帯が「権堂」と呼ばれるようになった。江戸時代には[[善光寺#善光寺町|善光寺町]]のうち、[[幕府領]]'''権堂村'''となる
 
その後は[[善光寺]][[表参道]]・[[北国街道]]沿いに位置することもあって[[善光寺]]参りの[[精進落とし]]の花街として[[江戸時代]]から現在に至るまで栄え、近年では市街地空洞化の影響もあるとはいえ[[長野県]]内随一の[[繁華街]]として賑わいを見せている。