「ドゥアルテ1世 (ポルトガル王)」の版間の差分

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*:マクシミリアン1世の最初の后である[[マリー (ブルゴーニュ女公)|マリー]]は、ドゥアルテ1世の妹[[イザベル・ド・ポルテュガル|イザベル]]の孫である。
*カタリーナ(1436年 - 1463年) 尼僧
*[[フアナ・デ・ポルトゥガル|ジョアナ]](1439年 - 1475年) [[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[エンリケ4世 (カスティーリャ王)|エンリケ4世]]の2度目の妃。
 
[[1437年]]に行われた[[タンジール]]遠征で、アラブ軍に弟[[フェルナンド聖王子|フェルナンド王子]]が人質となったが、「[[セウタ]]返還がかなえば王子を釈放する」というアラブ側の要請に[[コルテス (身分制議会)|コルテス]](議会)が難を示し、交渉は難航した。王子の救出に有効な措置がとれないことで精神的に追いつめられた王は、当時流行していた[[ペスト]]に罹患して死去した。