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== 歌舞伎舞踊の用語 ==
;'''所作事'''(しょさごと):
:[[歌舞伎]]演目中の舞踊的な部分を指す。大きく舞踊そのものと舞踊的な演劇とに区分することができ、伴奏が、前者の場合には[[長唄]]、後者の場合には[[義太夫節]]・[[常磐津節]]・[[清元節]]などの[[浄瑠璃]]となる。ただし両者のあいだの明確な区分は不可能であり、なかには『[[娘道成寺]]』のように途中で地方(伴奏)が[[義太夫節]]から[[長唄]]に変る例もあり、境界線はきわめてあいまいである。なお浄瑠璃による所作事を「浄瑠璃所作事」という。
:元来、浄瑠璃所作事は本来、数段形式の[[歌舞伎狂言]]の演目のうちの一段として作られたもので、その源流は[[丸本歌舞伎]]、さらに遡ると[[文楽人形浄瑠璃]]にあることになる。現行の演目でいえば『[[仮名手本忠臣蔵]]』八段目(「道行旅路の花嫁」)や『[[義経千本桜]]』の「道行初音旅」などがこれにあたる。その後、この形式が歌舞伎のなかで消化されてゆくにしたがって、もともと演目全体がひとつの舞踊もしくは舞踊劇としてなるオリジナルな演目が創作らされるものが出現しようになった。『[[六歌仙容彩]]』や『[[三社弥生の花浅草祭]]』(三社祭)などがこれにあたる。また『[[積恋雪関の扉]]』(関の扉)や『[[忍夜恋曲者]]』(将門』)のように、従来前の歌舞伎狂言のにおける所作事が残されたものがもある。
;'''変化物'''(へんげもの):
:一人の踊り手が早替りで次々と異なる役柄に扮して踊るもの。[[江戸時代]]後期に大いに流行した。役柄ごとに独立した一曲となっている。曲数により、○○〜〜五変化、○○〜〜七変化などと呼ぶ。一曲ごとに衣装・背景・伴奏音楽の種類が変わるため、見ていて面白い。変化物の誕生にともなって、役者に振りをつけて教える[[振付師]]も誕生した。さまざまな役を踊り分けるため役者の腕の見せどころとして、[[瀬川菊之丞 (初代)|初代瀬川菊之丞]]・[[中村歌右衛門 (3代目)|三代目中村歌右衛門]]・[[中村歌右衛門 (4代目)|四代目中村歌右衛門]]・[[坂東三津五郎 (3代目)|三代目坂東三津五郎]]・[[市川團十郎 (7代目)|七代目市川團十郎]]・[[尾上多見蔵 (2代目)|二代目尾上多見蔵]]・[[市川小團次 (4代目)|四代目市川小團次]]・[[中村芝翫 (4代目)|四代目中村芝翫]]などの名人上手が輩出し芸を競った。例としては、「『[[藤娘]]」「』『六歌仙」容彩』など。
;'''松羽目物'''(まつはめもの):
:[[能楽]]の題名・主題・内容と・様式などを借用した舞踊劇。1840年能の『[[安宅]]』をもとに、七代目市川團十郎が数年の歳月と試行錯誤を重ねて書き上げ、天保11年 (1840) 江戸[[河原崎座]]で初演による「された『[[勧進帳]]」が』をその始まり[[嚆矢]]とする。明治以降は[[演劇改良運動]]の一環として、七[[市川團十郎 (9代目の子)|九代目市川團十郎]]や[[尾上菊五郎 (5代目)|五代目尾上菊五郎による演劇改良運動の一環として、]]が[[河竹黙阿弥|黙阿弥]]や[[福地桜痴]]らの協力のもとの提携により、「『[[土蜘」・「 (歌舞伎)|土蜘蛛]]』『[[釣狐」・「]]』『[[茨木」 (歌舞伎)|茨木]]』などのオリジナル新作品。「や『[[船弁慶]]」・「』『[[素襖落」]]』など旧来の能狂言の改作を書き替えた演目が作創られた。大正期にはなると、[[尾上菊五郎 (5代目)|六代目尾上菊五郎]]、や[[坂東三津五郎 (7代目)|七代目坂東三津五郎と]]が[[岡村柿紅の]]と提携による「して『[[太刀盗人」・「]]』『[[身代替座禅」・「]]』『[[高杯」・「]]』『[[棒しばり」]]』などが作られを創った。さらに昭和にかけては[[初代市川猿翁|二代目市川猿之助]]により「『[[黒塚」「]]』『[[小鍛冶」]]』などの近代的演出をほどこした松羽目物が創作され、た。これらは現在いずれも今日の歌舞伎舞踊の重要代表的なな演目となっている。
== 歌舞伎舞踊の化粧 ==
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