「ハミルカル・バルカ」の版間の差分

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==略歴==
彼の戦歴は[[シチリア島]]から始まる。当時、シチリア島は第一次ポエニ戦争が勃発した発端となった場所ではあったが、彼が上陸した時にはすでに全島がローマの勢力下に入っていた。北西の海岸に強襲上陸した後に少数の傭兵でもって[[パレルモ]]近郊のエロテ山を占拠、攻撃に対して防御体勢を布くだけでなく、[[イタリア半島]]南部へ攻撃をしかける。[[紀元前244年]]にはエリュクス山(現在のサン・ジュ[[エーチェ (トラノ山パニ県)|エーリチェ]])に移動、包囲されている友軍の援護をする。その後、攻撃を仕掛けてくるローマ軍に対してはすべて撃退するなど彼の軍は無敗であったが、本国海軍の敗北を機に[[紀元前241年]]に和議が成立すると、降伏の意志もないままにカルタゴへと戻った。
 
第一次ポエニ戦争は、彼の活躍にも関わらず、カルタゴの敗北に終わった。カルタゴの軍は基本的に[[傭兵]]で成り立っており、ハミルカルの軍はハミルカル個人の素質によって率いられたものであった。しかしハミルカルにより約束されていた報酬は、[[大ハンノ]]を中心とするカルタゴ政府内の反ハミルカル勢力により反故にされ、傭兵たちは反乱を起こしてしまう。危機感を募らせたカルタゴ政府はハミルカルに反乱の鎮圧を要請、[[紀元前237年]]ハミルカルは傭兵の反乱を鎮圧に成功する。これによりハミルカルのアフリカでの名声と影響力を世に知らしめる。
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