「吉田文三郎」の版間の差分

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長年大坂[[竹本座]]の[[座頭]]として勤めたが、[[太夫]]との衝突も多く何度も退座、[[1759年]]には一門を引き連れて一座を建設を計画中の1760年に没。
 
実子に初代[[吉田文吾]](後の2代目文三郎)、[[吉田文吾#2代目|2代目文吾]]。
実子が文三郎の名と作者の名の冠子を相続した。
 
== 2代目 ==
([[享保]]17年([[1732年]]) - [[寛政]]2年([[1791年]][[12月4日]]))
 
大阪の生まれ、祖父は初代三郎兵衛、父は初代文三郎。弟に2代目文吾。初名を初代[[吉田文吾]]、後に2代目三郎兵衛を経て、[[1761年]]に2代目文三郎を襲名。
 
女方、立ち役に優れた。作者の名の2代目冠子も名乗る。
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