「竹崎町」の版間の差分

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==概要==
{{see also|下関駅#駅周辺}}
現在の[[住居表示]]では、[[国道9号]]の北側に竹崎町1丁目・2丁目が、西側に竹崎町3丁目が、国道9号の南側に竹崎町4丁目が所在する。[[京都市]]・[[烏丸五条]]を起点とする国道9号はこの地が終点となり、終点の先はそのまま[[国道191号]]に連なる。
 
元々竹崎町は[[下関漁港]]にほど近いこともあり、山裾の路地の周りに小規模な住宅と、漁業関係者向けの企業店舗や飲食店等が密集するエリアであった(現在も竹崎町1丁目には[[路地裏]]の小規模な住宅が多く残る)。かつての[[マルハ|大洋漁業]](現在の[[マルハニチロ水産]])の本社も、1936年にこの地に建てられている(この建物は、現在も「マルハ下関ビル」として現存している)。
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この状況に大きな変化を及ぼしたのが、[[日本国有鉄道|国鉄]](当時)[[下関駅]]の当地への移転である。元々下関駅は[[山陽鉄道]]の終点として開業し、九州や大陸へと渡る[[関門連絡船]]・[[関釜連絡船]]の便を考慮して、港にほど近い[[細江町 (下関市)|細江町]]に設けられていたが、1942年(昭和17年)に九州へと陸続きとなる[[関門鉄道トンネル]]の開通を機に、関門トンネルへ直通する方向に位置する竹崎町に移転されたものである。これをきっかけとして、駅周辺は活況を呈することとなり、旅行者向けの宿泊施設等が多く設けられ、[[下関大丸]]などの商業施設も置かれて繁華街としての位置づけを与えられることとなった。また、この地が大陸([[大韓民国|韓国]])と日本本土との結節点の地でもあったことからこの周辺に[[コリア・タウン]]が形成されることとなり、後に竹崎町2丁目には[[在日韓国・朝鮮人|在日コリアン]]の人々を中心とした[[商店街]]「[[グリーンモール商店街]]」が形成されていくこととなる。
 
下関駅移転後も残されていた細江地区の貨物ヤードが戦後にかけて縮小・廃止されると跡地を利用した駅周辺の[[再開発]]が進み、1965年には[[山口銀行]]本店が当地の下関鉄道病院跡地に移転、さらに1977年には県下最大のショッピングセンター「[[シーモール下関]]」がオープンするなど、大型商業施設の集積が進むこととなった。
 
*[[国道9号線]]を挟んだ北側([[グリーンモール商店街]]側)に、
 
2008年(平成20年)7月から、竹崎地区([[豊前田]]エリアも一部含む)は路上喫煙等禁止地区に指定された。指定喫煙場所(ほっとぴっと)での喫煙は可能。