「ピアノ三重奏曲第1番 (アレンスキー)」の版間の差分

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[[ピョートル・チャイコフスキー]]の創始した亡き芸術家の追悼音楽として[[ピアノ三重奏曲]]を作曲するという[[ロシア]]の伝統に沿った作品<ref>この伝統は、本作を経て、チャイコフスキー追悼のため[[セルゲイ・ラフマニノフ]]が作曲した『[[悲しみの三重奏曲]]』(第2番)、[[:en:Ivan Sollertinsky|イワン・ソレルチンスキー]]追悼のため[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]が作曲した『[[ピアノ三重奏曲第2番 (ショスタコーヴィチ)|ピアノ三重奏曲第2番]]』などに受け継がれている。</ref>。すなわち、チャイコフスキーの『[[ピアノ三重奏曲 (チャイコフスキー)|偉大な芸術家の思い出に]]』が[[ニコライ・ルビンシテイン]]追悼のために作曲されたのと同様に、本作は[[サンクトペテルブルク音楽院]]でチェロを教え、[[1889年]]に[[モスクワ]]で死去した名チェリスト[[カルル・ダヴィドフ]]の追悼のため作曲された<ref>ダヴィドフが没した1889年に、アレンスキーは[[モスクワ音楽院]]の教授に昇進している。</ref>。
 
作曲者と[[:w:Jan Hřímalý|ヤン・フジマリー]]、[[アナトーリー・ブランドゥコーフ]]が作曲直後に行った自作自演の[[蓄音機|蝋管録音]]の第3楽章までの抜粋が残されている(外部リンク参照)。
 
== 初演 ==
[[1895年]]に[[サンクトペテルブルク]]にて、作曲者のピアノ、[[レオポルト・アウアー]]のヴァイオリン、[[:ru:Вержбилович, Александр Валерианович|アレクサンドル・ヴェルジビロヴィチ]]のチェロにより初演<ref>アウアーとヴェルジビロヴィチは初演当時、サンクトペテルブルク音楽院の教授を務めていた。</ref>。