「フランス領赤道アフリカ」の版間の差分

 
== 歴史 ==
[[第二次世界大戦|第二次大戦]]期、[[ナチス・ドイツ]]によりフランス本土の大半が占領されると、[[自由フランス]]の[[アフリカ]]における活動拠点となった。このとき隣接する[[フランス領西アフリカ]]は[[ヴィシー政権]]を支持している
 
フランス本国で[[フランス第四共和政|第四共和政]]が成立すると、他の植民地と同様、'''フランス領赤道アフリカ'''も本国議会に代表を送ることが認められた。住民の政治意識の高まりから[[1958年]][[9月]]、[[フランス共同体]]内の自治共和国となるかどうかの住民投票が行なわれると、圧倒的多数でこれを承認。連邦は解体され、フランス領赤道アフリカは消滅した。[[1959年]]、旧連邦構成地域は暫定的に'''中部アフリカ共和国連合'''を創設し連携を維持しようとしたが、結局[[1960年]]各共和国は個別に独立した。