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'''関東郡代'''(かんとうぐんだい)とは、[[江戸時代]]に4ヶ所設置された[[郡代]]の一つ。[[関八州]]の[[徳川幕府|幕府]]直轄領の民治を司る地方官であり、約30万石を管轄する。行政・裁判・年貢徴収なども取り仕切り、警察権も統括していた。また将軍が[[鷹狩]]をするための[[鷹場]]の管理も行っている。
陣屋ははじめ[[武蔵国]]小室(現[[埼玉県]][[北足立郡]][[伊奈町]])の[[小室陣屋]]。のち[[1629年]]([[寛永]]6年)に同国赤山(現[[埼玉県]][[川口市]])の[[赤山陣屋]]へと移された。さらに[[武蔵国]]小菅(現[[東京都]][[葛飾区]][[小菅]])にも陣屋があり、家臣の代官を配置していた。
== 歴史 ==
[[徳川家康]]の関東入府の際に[[伊奈忠次]]を関東の代官頭に任じたことに始まり、その後
本来郡代は[[代官]]と同様に[[勘定奉行]]の支配下にあったが、[[1733年]]([[享保]]18年
しかし、
一方伊奈氏は改易後、歴代の功績により同族の伊奈忠盈が伊奈家の名跡を継ぐことを許され、武蔵国秩父郡・常陸国信太郡に新地1,000石を受け、旗本として明治維新を迎えた。
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