「環濠集落」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Godaigo (会話 | 投稿記録)
m →‎弥生時代: 大開遺跡
Godaigo (会話 | 投稿記録)
→‎縄文時代: 環濠(壕)
20行目:
 
=== 縄文時代 ===
環濠集落は[[朝鮮半島]]南部でも見られ、北九州では[[縄文時代]]晩期(前4世紀)の環濠集落がある。[[縄文人]]のムラは環濠を形成しない傾向にある。しかし、今から約4000年前(中期末~後期初)、[[北海道]][[苫小牧市]]にある静川(しずかわ)16遺跡から幅1~2メートル、深さが2メートルほどあり、断面形がV字状になった溝が、長軸約56メートル、短軸約40メートルの不正楕円形にめぐる環濠集落が発見されている。環濠の内側から2棟、外側からは15棟の円形竪穴住居が見いだされている。それは、弥生の環濠集落とは性格を異にするものであろう。例えば、縄文人の祭祀の空間だったのかも知れない。
縄文時代の環濠集落は、現在のところこの遺跡のみである。
環濠ではないが、秋田県上新城に晩期末の'''二重の柵'''、茨城県小場に中・後期の住まいと墓地を隔てる真っ直ぐな'''溝'''、埼玉県の後期末~晩期初の宮合貝塚などがある。これらは、祭の場、墓地などを囲み、日常の位の場とを分離していたものである。<ref>佐原真「日本・世界の戦争の起源」、金関恕・春成秀爾編『佐原真の仕事4 戦争の考古学』岩波書店 2005年</ref>
 
=== 弥生時代 ===