「尾上菊五郎 (3代目)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
42行目:
三代目菊五郎は[[市川團十郎 (初代)|初代市川團十郎]]以来続いてきた江戸歌舞伎の型を整理したことで知られる。また『[[東海道四谷怪談]]』『法懸松成田利剣』『阿国御前化粧鏡』『独旅五十三次駅』『心謎解色糸』などの[[鶴屋南北|四代目鶴屋南北]]作の[[狂言]]に主演して生世話物や怪談物のケレンに長じ、『伊勢音頭』の福岡貢や『[[仮名手本忠臣蔵]]』の勘平、『[[義経千本櫻]]』の権太、『助六』の花川戸助六などの従来の作品にも優れた演出を工夫した。
 
「どうして俺はこんなにいい男なんだろう」と楽屋で自身の顔を鏡に映しながらつぶやいたほどの美貌で、それに演技力に優れ創意工夫を絶えず忘れない努力家でもあった。多くの怪談狂言では作者の鶴屋南北、道具方の[[長谷川勘兵衛#11代目|十一代目長谷川勘兵衛]]、鬘師友九郎、衣装方など裏方と協力して次々と新機軸を生み出していった。幽霊や妖怪から一転して美男美女に早変わりをするうまさは観客を喜ばせた。役柄も広く「立役、女形、老人、若衆形、立敵から三枚目まで、そのままの姿で替ります」(『役者外題撰』天保10年)と評され「兼ネル」の称号までを与えられている。
 
『東海道四谷怪談』は文政8(1825)年7月の江戸中村座の初演でお岩、小平、与茂七三役早変わりを演じて以来当たり役となり、生涯に九度演じた。お岩を演じた際、顔ごしらえ(メイク)を怖がらない弟子がいると、舞台裏の奈落でいきなり現れておどかした。「師匠びっくりするじゃありませんか」と弟子が言うと「怖がらせておいて舞台に出ないといけねえからこうしたんだ」と言って弟子に駄賃をあげたり、吹き替えのお岩を演じる弟子に「お岩の死体だって恨みがこもっているんだから、ただ寝ているだけじゃあいけねえ。こぶしを握るとか足を曲げるとか工夫をしろ」と助言するなどの挿話が残っている。尾上家十八番の怪談劇を演じる第一人者として、「お化けを演じるのは気楽に、幽霊を演じる時は気を重くする」という言葉も残している。