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{{redirectlist|日本史|テレビ番組『日本の歴史』|日本の歴史 (テレビ番組)|日本の歴史を研究対象とする歴史学の分野「日本史」|日本史学|高等学校の教科「日本史」|日本史 (科目)|ルイス・フロイスの著書『日本史』|フロイス日本史}}
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'''日本の歴史'''(にほんのれきし)、'''日本史'''(にほんし)とは、[[日本]]または[[日本列島]]における歴史である。本項では日本の歴史を概観する。
 
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[[3世紀]]中後半から[[7世紀]]頃までは[[古墳時代]]と呼ばれる。3世紀中ごろに機内に出現した[[前方後円墳]]とそれに伴う墓制が急速に列島各地に広まっており、このことは畿内・山陽・北部九州に並立していた地域政治集団が糾合して[[ヤマト王権]]を形成したことを表していると考えられている。ただし、これは初期国家と呼べる段階にはなく、王権の連合(連合王権)と見るのが適切とされている。
 
[[4世紀]]後半からヤマト王権は、武器・農具の原料である鉄資源を求めて[[朝鮮半島]]への進出を開始したが、これを契機として朝鮮半島や中国の技術・文物が倭国へ多く流入することとなった。[[5世紀]]に入るとヤマト王権は本拠を[[河内平野]]へ移し、中国王朝との通交を活発に行った。中国史書に名の残るこの時期のヤマト王権の首長を[[倭の五王]]という。倭の五王は国内に対し[[大王 (ヤマト権)|治天下大王]]と称したが、これは倭国を中国と別個の[[天下]]とする意識の現れとされる。この時期の前方後円墳は、特に規模が巨大化しており強力な王権の存在を示している。
 
倭の五王の後、5世紀後葉から[[6世紀]]前葉にかけてヤマト王権内部の政治混乱が見られたが、[[継体天皇]]の登場によりヤマト王権による列島支配が強まり、一方、朝鮮半島への進出傾向は大きく後退した。こうした内向的な時期を経てヤマト王権による支配体制が徐々に強化されていった。
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[[14世紀]]頃から[[16世紀]]頃までは[[室町時代]]と呼ばれ、[[京都]]の室町に[[幕府]]が置かれた。[[足利尊氏]]が南朝に対して北朝を擁立し[[室町幕府]]を開いた。京都に本拠を置いた幕府は、朝廷の権能を次第に侵食したため、朝廷(公家政権)は政治実権を失っていった。各国に置かれた守護も[[半済]]等の経済的特権の公認や[[守護請]]の拡大などを通じて、国内支配力を強め、[[国衙]]機能を取り込んでいき、[[守護大名]]へと成長して、[[守護領国制]]と呼ばれる支配体制を築いた。こうして幕府と守護大名が構築した相互補完的な支配体制を[[室町幕府-守護体制]]という。
 
[[足利義満]]は[[明徳の和約|南北朝合一]]を遂げ、また[[日明貿易]]を行い明皇帝から[[日本国王]]に[[冊封]]された。義満は守護大名の勢力抑制に努めたが、守護大名の拡大指向は根強く、幕府対守護の戦乱が多数発生した。幕府-守護体制は[[15世紀]]中葉まで存続したが、[[応仁の乱]]によって大きく動揺すると[[明応の政変]]を契機としてついに崩壊し、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]へと移行した。
 
この時代の社会原則は[[自力救済]]であり、各階層内において連帯の動き=[[一揆]]が浸透した。村落社会の自立化が進み[[惣村|惣村・郷村]]が各地に成立した。西日本では交易が活発化し、その活動は朝鮮・中国に及んだ([[倭寇]])。文化面では、[[連歌]]・[[猿楽]]・[[喫茶]]など身分を超えた交流に特徴付けられる[[室町文化]]が栄えた。この文化は[[禅宗]]の影響を受け、簡素さと深みという特徴も持っていた。
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{{main|昭和|日本近代史}}
[[昭和]]年間([[1926年]] - [[1989年]])は[[昭和|昭和時代]]と呼ばれる。大正期から続いた不景気[[世界恐慌]]が直撃し、社会不安が増大した。[[政党政治]]に代って[[日本軍|軍部]]が力を持ち、[[満州]]を占領して[[満州国]]を樹立し、やがて[[中華民国]]との[[日中戦争]]([[支那事変]])に発展した。これが[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[イギリス]]の反発を招いて[[国際連盟]]を脱退し、日本は[[ドイツ]]、[[イタリア]]の[[ファシスト]]政権と[[日独伊三国同盟|三国同盟]]結び、[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]]・[[大東亜戦争]])に突入した。
 
[[日本軍]]は[[アメリカ軍]]の物量と通商破壊戦に圧倒され、[[原子爆弾]]を投下されて第二次世界大戦に敗れた。[[戦後]]は[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の占領下に置かれ、[[象徴天皇制]]、[[国民主権]]、[[平和主義]]などに基づく[[日本国憲法]]を新たに制定した。[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]により主権を回復した後、[[冷戦]]下の西側陣営として[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約|日米安全保障条約]]を締結した。[[自民党]]と[[社会党]]の保革[[55年体制]]のもと、[[高度経済成長]]を経て[[経済大国]]の仲間入りを果たした。昭和末期には[[バブル景気]]と呼ばれる好景気に沸いた。
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[[fi:Japanin historia]]
[[fr:Histoire du Japon]]
[[gan:日本嗰歷史]]
[[gl:Historia do Xapón]]
[[he:היסטוריה של יפן]]