「本多流生弓会」の版間の差分

→‎射法: 正面打起し
(参考文献、宗家)
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とはいえ、流祖利實を始めとして、多くの本多流射手が四つガケを好んで使用している。
 
利實の著作によると、幕末の[[江戸]]ではすでに多くの武士が正面打起しを行なっており、自身も幼少時に修業を始めた時から正面打起しに慣れていたということである。しかし、竹林派の伝書には左方に弓構えをすると書かれており、『[[徳川吉宗]]の時代に[[小笠原流|小笠原]]に対して旗本の指南を命じられたため、騎射・礼射の弓構えを的前でも行なうようになったのであろう』『要前(戦場の歩射)では左方に構えなければならず、小笠原でもずっと以前はそうしていたと思う。馬上では正面に構える方が都合が良いが、的前ではどちらにも一得一失があり、たいした違いは無い』と考察している。実際に小笠原流の蟇目の儀等で斜面に打起す場合がある。これらのことを踏まえても、日置流系の射術書に正面打起しを著述したのは利實が最初であり、利實が「竹林派に正面打起しを取り入れた」と言える。
発案者である本多利實は、自身が正面打起しを始めた理由を明確には語っていないが、''一時期小笠原流の道場で修行を積んだ際、小笠原流の射手らと体配を揃える必要があったことから始めたものらしい''{{要出典}}。
 
利實の高弟らは、当時「新射法」と呼ばれたこうした射法が姿勢の左右均衡を計り身体健康に適ったものであると唱え、かくして本多流は瞬く間に隆盛を極めるに至った。
その一方で、他流派の射手からは「本多の出っ尻帆掛け舟」などと、本多流の射法を揶揄する文言が聞かれたのも、また事実である。
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