「吉野正人」の版間の差分

(2009年3月~6月のベルト関連)
[[2006年]]自身の創設したオープン・ザ・ブレイブゲートに挑戦表明。[[2月5日]]に[[博多スターレーン]]大会で現王者の[[ドラゴン・キッド]]に挑むも両者セコンドの乱入によりノーコンテスト、ベルトはコミッショナー預かりとなった。そして[[3月19日]]に行われたブレイブゲート王者決定トーナメントで優勝し、第3代オープン・ザ・ブレイブゲート王者に君臨した。その後、Blood Generationの分裂の際に造反組に回り、そのまま[[マッスル・アウトローズ]]の一員となる。
 
[[2007年]]からは主にかつてのライバル、土井成樹とタッグ(通称「土井吉」)を組み活躍。スーパーパワーボムやダブルインパクトなどの好連携を見せる。2007年8月に行われたタッグリーグでは土井吉の2人が優勝を収め、獲得した賞金でオープン・ザ・ツインゲートを創設。同年10月に当時IJタッグ選手権王者であった[[新井健一郎]]、[[岩佐拓]]とベルトの統一戦を行い勝利、同王座の初代王者となった。さらには同年11月24日、土井と共に[[プロレスリング・ノア]]の[[グローバル・オナード・クラウン#GHCジュニアヘビー級タッグ王座|GHCジュニアタッグ]]のベルト奪取に成功する。
 
また、シングルプレーヤーとしても2007年9月22日の大田区体育館大会においてブレイブゲート王座を再び獲得。そこから2008年4月まで同王座を防衛し続け、ブレイブゲートの最多防衛記録を更新した。
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