「複合単位」の版間の差分

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ではなぜかといえば、それは北宋が常に[[遼]]・[[西夏]]などの外敵を抱え、その財政が常に戦時財政であったということが理由と考えられる。平時においては銭一貫と藁一束が等価などということはありえない。しかし軍事という場面において、銭も藁も代替の利かない物品である。例えていうならば自転車の部品としてタイヤ・ギヤ・ハンドル、これらの金銭的価値は様々である。しかし自転車を動かすという目的からすればこれらはお互いの間で交換は不可能であって、その意味で等価である。そのような意味で軍事的な意味合いから物資の総量を表す数値として複合単位が使われていたのである。
 
[[王安石]]の[[新法・旧法の争い|新法改革]]ごろより複合単位は急速に少なくなり、南宋代にはほぼ消滅した。王安石によりそれまでの物資・銭の混合財政から銭への一本化が図られたからと考えられる。[[元豊 (宋)|元豊]]元年([[1078年]])に銅銭の鋳造量が最高点を迎えることとこれとは連関していると考えられる。
 
== 参考文献 ==