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'''石井 茂成'''(いしい しげなり、生年不詳 - [[寛永]]10年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]]([[1634年]][[1月15日]]))は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]初期の[[肥前国]]の武士で、[[佐賀藩]]・[[蓮池藩]]の家老。佐賀藩祖[[鍋島直茂]]の正室[[陽泰院]]の甥で、初代藩主[[鍋島勝茂]]の従兄。
==生涯==
肥前国の戦国大名[[龍造寺政家]]の家老[[
父・兄とともに、[[龍造寺隆信]]・政家父子に仕える。[[龍造寺氏|龍造寺家]]の衰退後、鍋島直茂・勝茂父子に従って、朝鮮役に出陣し、活躍。あわせて、伯母陽泰院の威光により、藩の中枢に抜擢され、知行1,250石を拝領し、家老に就任。また
[[葉隠]]の著述者[[山本常朝]]の祖父[[中野清明]]が浪人している際、石井家の領地に流れてきた清明を賢次・茂成父子が面会し、清明の器量を見込んで、鍋島直茂に推挙したと伝わり、以降、中野家は佐賀藩の重臣として発展する。
室は[[石井景弘]]
墓所は、[[佐賀県]][[佐賀市]]本庄町鹿子の[[常照院]]にある。
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