「イツハク・ナヴォン」の版間の差分

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== 政治家としての経歴 ==
1951年にナヴォンはイスラエル初代首相外務大臣[[ダヴィドモシェベン=グリオンシャレット]]の政治秘書になった。続く年任ぜられ1952年から1963年にかけて初代[[ダヴィド・ベン=グリオン事務所の局長に任命され]]首相が[[第二代モシェ・シャレット]]に代わっても彼はこ地位二人の首相立ち続け仕えた首相府長官<ref>ヘブライ語:מנהל  לשכת ראשי הממשלה </ref>を務めた。1963年に、彼は文化・教育省と文化省の部局長に就任するなっ、成人向けのヘブライ語教育プログラムの推進に手腕を発揮した。21965、ナヴォンは1968年第6次[[クネセト|クネセト(国会)]]選挙ベン=グリオンのラフィ党から立候補して当選し、所属政党のラフィ党が[[労働党 (イスラエル)|労働党]]アラインメント党の一部)に従連衡して変遷するベン=グリオンのラフィ党中、第6次から[[第9次(1977年)クネセト]]まで会に当選し席を保った。その間、クネセト議会副議長外務・防衛問題担暫定議長(時の議長が急逝、次の議長が選出されるまでの約1ヶ月間)、およびクネセト議会外務・防衛委員会の委員、ならびに[[:fr:Conseil du travailleur sioniste|世界シオニスト労働者委員会]]委員長などの要職務め歴任し。そして第9次クネセト議員任期中に、大統領に選出されたのである
 
== 大統領時代 ==