「第二次怪獣ブーム」の版間の差分

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この『仮面ライダー』は、[[大野剣友会]]による『[[柔道一直線]]』からの流れを汲んだ身体を張ったアクションと、[[JAC]]による派手な[[トランポリン]]アクションが呼び物で、このアクションスタイルは同時期の巨大ヒーローものにも波及。怪獣ブーム本家の円谷プロの「[[ウルトラシリーズ]]」や、「[[スポ根]]ドラマ」にもトランポリンアクションを積極的に導入させる影響を与えた。
 
前回のブーム時とは異なり、今回のブームでの子供たちの嗜好は、「等身大変身アクション」に傾いていた。前回ブームの主役であった円谷プロが制作した『帰ってきたウルトラマン』は、常時30%に迫る視聴率を上げていた『仮面ライダー』に、ついに視聴率で勝つことが出来なかったのである。
「変身ブーム」を語る際に欠くことのできない事項として、「[[東映生田スタジオ]]」の存在がある。『仮面ライダー』を制作するために東映の資本下に新設されたこの「東映生田スタジオ」は、以後『仮面ライダーシリーズ』を中軸に、『超人バロム1』、『変身忍者嵐』、『イナズマン』など、次々に等身大変身アクション番組を送りだし、まさに「変身ブーム」の屋台骨となった。
 
この空前の「変身ブーム」を語る際に欠くことのできない事項として、「[[東映生田スタジオ]]」の存在がある。『仮面ライダー』を制作するために東映の資本下に新設されたこの「東映生田スタジオ」は、以後『仮面ライダーシリーズ』を中軸に、『超人バロム1』、『変身忍者嵐』、『イナズマン』など、次々に等身大変身アクション番組を送りだし、まさに「変身ブーム」の屋台骨となった。
 
またピープロ制作の『宇宙猿人ゴリ』の変身ヒーロー、「スペクトルマン」も、シリーズ後半は等身大のアクションが増加。一方、[[宣弘社]]制作の『[[シルバー仮面]]』は、等身大ヒーローの設定を捨て、中途から巨大ヒーローものにシフト。「巨大ヒーロー」と「等身大ヒーロー」がしのぎを削ったのも特徴である。
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「怪獣ブーム」としても、前ブーム時に怪獣を主人公にしたアニメーション『[[おらぁグズラだど]]』を送り込んだ[[タツノコプロ]]により『[[かいけつタマゴン]]』(1973年)が製作され、円谷怪獣がレギュラーで出演するバラエティ番組『[[ハッチャキ!マチャアキ!!]]』(1971年)。オリジナルの怪獣が登場する『[[マチャアキ・前武・始まるョ!]]』(1971年、ガリガリ、ベロベロ)や『[[ひらけ!ポンキッキ]]』(1973年、[[ガチャピン]]、[[ムック]])など、特撮番組以外のメディアにまで怪獣は進撃してきたのである。
 
{{和暦|1972}}には[[テレビ朝日|NET]]が、当時「お化け番組」と呼ばれた『[[8時だョ!全員集合]]』に対抗し、「変身大会」と銘打って実写番組の『[[人造人間キカイダー]]』とアニメ番組の『[[キューデビルマン# ィーハレビアメ版|デビルマン]]』、『[[キューティーハニー#テレルマンアニメ「キューティーハニー」|キューティーハニー]]』などとの変身もの二本立て企画をぶつけ、当時子供番組枠としては異例の夜20時から1時間枠の放送が実現、加熱ブームを示すこととなった。
 
同年末、[[東映動画]]が制作した『[[マジンガーZ]]』が放映開始されると、大半の児童の興味の対象は「巨大[[ロボットアニメ]]」に移行して行った。この影響を受けて特撮巨大ヒーロー番組も、宣弘社が『[[スーパーロボット レッドバロン]]』、円谷プロが『[[ジャンボーグA]]』を制作するなど、ロボットヒーローが増加したのも特徴のひとつである。
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==商品展開==
===出版媒体===
「第一次ブーム」を支えた[[週刊少年マガジン]]などの週刊少年漫画誌が対象年齢引き上げに伴い特集記事扱いからほぼ撤退、[[石森章太郎]]の「原作漫画」掲載などにとどまった。代わりに[[テレビマガジン]]、[[テレビランド]]、[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]、「[[小学館]]の学年雑誌」などがタイアップ参加、[[梶田達二]]、[[南村喬之]]、[[前村教綱]]らによる精緻な怪獣・ロボットのイラストがグラビアを彩り、実写とアニメを組み合わせた様々な特集企画は「巨大ロボットアニメブーム」と並行させてブームを盛り上げた。小学館の独自企画としては、誌上懸賞によって読者プレゼントされた「特製怪獣ピンバッジ」が挙げられる。また、「とびだす絵本」を主戦力とした「[[万創]]」は、このブーム時に実写・アニメ番組の巨大スポンサーに成長した。
 
代わりに今回のブームでは、前回の週刊誌中心の記事掲載から、「[[テレビマガジン]]」、「[[テレビランド]]」、「[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]」、「[[小学館]]の学年雑誌」など月刊誌が中心となったタイアップ参加が行われ、前回ブーム時にも腕を振るった、[[梶田達二]]、[[南村喬之]]、[[前村教綱]]らによる精緻な怪獣・ロボットのイラストがグラビアを彩った。
===音楽媒体===
 
こうして、『仮面ライダーV3』での「○○一族の月替わりの登場」といった、月刊誌に合わせての番組と紙面掲載をリンクさせた企画が起こされ、「雑誌とテレビ番組が互いに本編設定を補完し合う」という形での、実写とアニメを組み合わせた様々な特集企画は、「巨大ロボットアニメブーム」と並行させてブームを盛り上げた。
 
小学館の独自企画としては、誌上懸賞によって読者プレゼントされた「特製怪獣[[ピンズ|ピンバッジ]]」が挙げられる。また、「'''とびだす絵本'''」を主戦力とした「[[万創]]」は、このブーム時に実写・アニメ番組の巨大スポンサーに成長した。
 
===音楽・映像媒体===
[[朝日ソノラマ]]などの[[ソノシート]]」に加え、『仮面ライダーヒット曲集』に始まる「挿入歌集」のレコード化がヒットを呼び、番組混載型のLP盤と併せ、各番組がこぞってリリースに及んだ。
 
東宝は、過去の怪獣映画作品のハイライトシーンを、数分の8㎜フィルムに再編集し、ソノシート絵本と抱き合わせにした商品を販売した。
 
===玩具業界===
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また、[[今井科学]]や[[バンダイ]]やその傘下の[[ポピー (玩具メーカー)|ポピー]]によるプラモデル、ヒーローマシンが玩具市場を賑わせた。これら玩具メーカーのスポンサー参加によって、番組キャラクターにその意向が反映される傾向が強くなっていく。
 
[[ブリヂストンサイクル]]は、『仮面ライダー』が乗るオートバイを模した「ドレミシリーズ」を発売、大ヒットとなり、以後、自転車業界では番組キャラクター意匠を付加した児童向け商品が一大市場となった。
 
また、ブーム最大のヒット商品として、[[ポピー (玩具メーカー)|ポピー]]が{{和暦|1972}}に発売した、『仮面ライダー』の「変身ベルト」がある。劇中の変身ベルトを模した玩具としては、[[タカトクトイス]]が先行し発売していたが、ポピーが劇中の描写に合わせ発光回転ギミックを内蔵し、「光る、まわる変身ベルト」として発売、当時の価格で1500円という高額にもかかわらず、子供たちの「仮面ライダーごっこ」に欠かせないアイテムとして大ヒットとなった。
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公開型の興行として先駆けとなったのは、変身ブームの金字塔『仮面ライダー』の「実演ショー」であり、{{和暦|1971}}の7月に[[毎日放送]]の招きで行われた大阪のデパートでの興行が初で、この際にはあまりの人出に警察が出動する騒ぎとなったという。以後、[[豊島園]]を皮切りに東京でも「仮面ライダーショー」は行われ、大盛況となっていった。これらのショーは、番組中と同じく[[大野剣友会]]のメンバーが殺陣を演じた本格的なものであり、翌年には[[後楽園ゆうえんち]]が常設ステージを設け、この「テレビと同じアクション」を売りにしたアクションショーは全国に波及していった。
 
円谷プロやピープロといった制作会社もこの盛況ぶりに注目し、「アクション」という要素を加味されたアトラクションショーが各地の遊園地、デパート屋上などで催され、制作会社にとっても重要な収入源となっていった。また、撮影用の怪獣造形自体も、こうしたアトラクションに合わせた丈夫なものが要求され、ことに「ウルトラシリーズ」では色遣いやデザイン・造形面にも強い影響が見られるようになった。ことに細部の作りよりも丈夫さを優先したアトラクション用の怪獣が、テレビ本編に「逆輸入」されて登場する例も多々見られ、怪獣のクオリティ面でちぐはぐな面が目立つこととなっている
 
==ブームの終焉と以後==
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===造形技術者===
怪獣や怪人などのキャラクター制作、ヒーローマシンから美術全般まで、造形者たちがセンスを競い合い、ブームを支えた。過激なアクション志向によって耐度のい造形が求められ、苦労は多かったという。
 
*[[高山良策]]
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:「'''変身ポーズ'''」を社会現象にまで押し上げたエポック作品。オートバイや変身ベルトなどのアイテムも人気となり商品化された。
*[[帰ってきたウルトラマン]]
:「仮面ライダー」の影響から[[トランポリン]]アクションを導入。本作以後「宇宙人」に代わり「星人(せいじん)」の呼称が登場。
*[[ミラーマン]]
*[[シルバー仮面]]